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文学
夭折の作家、伊藤計劃の描く社会
書籍・作品名 : harmony
著者・制作者名 : 伊藤計劃  
nyanyanya   28才   男性   





伊藤計劃とは34歳の若さでこの世を去ってしまったSF作家だ。そのあまりにも短い人生の中で彼は2つの長編SF小説を世に残した。その2作のうちの2作目、つまり彼が存命中、最後に書き上げた長編小説が今回私の取り上げる『ハーモニー』という作品である。〈真の理想的な社会とはいったいどのようなものなのか、人間は何のために社会を形成しようとするのか〉といった問いかけを読者に強く投げかける本作は日本のみならず世界各国のSF界で話題を呼んだ。
『ハーモニー』は簡単に言ってしまえばディストピア文学というくくりに入れることができる。SFが好きな方はディストピアと聞いてそれがどのようなものであるか頭に浮かぶだろう。そうでない方のために簡単に説明すると、ディストピアとはユートピア(理想郷)の正反対の社会を表す言葉であり、反ユートピア的な要素を持った社会を描いた文学をディストピア文学という場合が多い。1800年代後半、人類の種族が貧弱で無能な上級階級と醜く凶暴な労働階級の2種に分岐した未来の地球を描いたH.Gウェルズの『タイムマシン』を先駆けとして、現代にいたるまで様々なディストピア文学が描かれてきた。薬物を服用することによって皆が幸福を感じ、精力を保ち続けることのできる社会を描いたオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』、本を所持することが禁じられ、知識を持つことが悪とされた社会を描いたレイ・ブラッドベリの『華氏451度』、「ビッグブラザーがあなたを見守っている」で有名な、徹底的な管理社会を描いたジョージ・オーウェルの『1984年』などが世界的に有名なディストピア文学であるといえるだろう。(個人的には、結晶化の進む森林を舞台としたJ,Gバラードの「結晶世界」も、少しディストピア文学を離れるかもしれないが退廃的な空気感を強烈に放っている名作だと感じているのでこの機会におすすめしたい。)
伊藤計劃の『ハーモニー』であるが、この作品は人々がみな大人になるとチップを体内に埋め込み、機械によって体内の健康管理が完璧になされるようになり、自らの社会的な地位や健康状態などが常に他人に公開され、すれ違う人々の詳細な情報がチップを通して頭に入ってくる、そんな社会を描いている。私は本作を読んだ際、この社会をただのSF世界の空想のものだと割り切って読むことができなかった。どうしても今自分が生きている現実世界と重ねて考えてしまうのだ。何をするにも身近なところにはスマートフォンがあり、暇さえあればSNSを開いて他人の様子を追跡し、また、自分のことを他人にアピールする。これを僕たち大学生はまるで息をするかの如くひたすらに続けている。私がこの状況を当然のことだと考えているのと同じように、『ハーモニー』で描かれる社会の構成員たちもみなその現状に満足しきっている。確かに機械に頼っているとはいえ健康に暮らすことができ、他人に見られることになる自分のデータを良いものに保とうとして人々はみな思いやりを持った行動を心がける、たいていの人はそんな社会に大満足であろう。しかし、第三者の目線から見て、この社会がどこか息苦しくて生き辛いものであるように感じるのは私だけだろうか。ここで矛盾が生まれることに気付く、私はこの『ハーモニー』の描く社会に違和感を覚えているのにかかわらずスマートフォンを肌身離さず持ち歩き、他人をこっそりと観察し続ける今の生活については特に息苦しさなどは感じていない。やはり人間は、ある一つの社会に属していると、その社会での生活が当たり前のものであるからその生活を絶対的なものとして考えてしまいがちなのだろうと思う。だからこそ自分の生活を見直すきっかけをくれたという点でも『ハーモニー』は私にとって非常に重要な意味を持つ作品となった。
本作で描かれた社会は最終的に一つの大きな結末を迎えることになる。この結末に至るまでのプロセスというのが本作の根幹をなす要素であるということもできるだろう。ただ、ここでその結末を簡単に述べてしまうと本作の魅力を大きく損ねてしまうことになるため控えておくが、この終わり方が非常にSF的とでもいうのだろうか、とても壮大かつ哲学的であり作者の伊藤計劃の技量に圧倒される。加えて、本作で描かれた社会と現在私の生きている社会につながりを感じていることもあり、どこか他人ごとではないような緊迫感を感じる。
SFと聞くと空想的でくだらない、などと思って距離を置く人もいるのかもしれないがこのジャンルだからこそ伝えられることも数多くあると私は考えている。一度彼の描いた世界を堪能してほしいと思う。そしてその世界と自分の世界を比較してみるとなにか新しい発見があるかもしれない。






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