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文学
時代を超越した「実存主義者」鴨長明
書籍・作品名 : 方丈の孤月
著者・制作者名 : 梓澤要 新潮社2019.3  
すすむA   58才   男性   





鴨長明が好きだ。本邦に「世捨人」有名人は引きも切らないが、たとえば有原業平や西行には最後まで貴賓という称号がついて回ったし、良寬は解脱するまでの激しい修行抜きに語れない。だが我が長明氏はどうだ。客観的にはひがみ根性と気位の高さで自ら世間との道を閉ざした落伍者だが、主観的には「夫、三界は只心一つなり」と書くように、実存主義思想が勝る「時代を超えた人物」であった。

したがって彼の人生観を「無常観」といった陳腐な言葉で片付けてしまうのは間違いである。何より当時の社会情勢の中に彼を置いてみなければならない。こういう観方をした先達は、堀田善衛(『方丈記私記』1971年)だが、本書も小説仕立ての中で同じように彼を捉えようとしているのが嬉しい。

長明氏は隠者と言うより今風に言えばジャーナリストであった。一旦ことあれば何を置いても現場に飛んで行かずにいられない好奇心旺盛な人物なのだ。彼の『方丈記』はそのレポートであり、その文章には実際に目撃した者でなければ書けない臨場感がある。だから本書の著者もその通りを現代文に書き直すだけで良い。

長明氏の前半生には、王朝の衰退、平家の短期間の栄枯盛衰、関東武士集団源氏の勃興と、時代は音立てて流れた。天災も連続して発生した。本書に記される大事件を西暦で追ってみれば、1177年京都大火、1180年京都つむじ風と福原遷都、1181~2年諸国大飢饉、1183年木曽義仲の入京と翌年の戦死、1185年京都大地震と壇ノ浦の平氏の滅亡と引きも切らない。その間の長明氏にあっては、父の死、賀茂神社の禰宜就任の重なる敗退、祖母菊宮家を継ぎ追放される等、失意の日々が続く。本書は1208年54歳になった長明氏が、日野の終の棲家に移った直後に、一人称の語りで回想する構成になっている。当時だって54歳はまだ老人では無い。官人は70歳を超えても未だ働いていた。若さを隠した諦観とまだ収まりきらない浮世の夢とが奇妙に混じり合う語り口がまた面白い。

全くついていない長明氏の人生だが、女にはもてたと語りはほのめかす。建礼門院右京太夫は貴種の取巻に恐れをなして引き下がらざるを得なかったが、加茂斎院に仕える凜子とは8年に及ぶ恋を成就する。だが恋人は長明の子を死産し「その大出血」であえなく命を失った。当時は皇族でもない女性の記録はないのが普通で、凜子は作者の想像だが、その頃の長明氏が作った一首;
「忍ばむと思ひしものを夕暮れの風の景色につゐに負けぬる」
について堀田善衛も、これは歌のためのフィクションではなくて「彼が確かに女を失った、と言うことがじっくりと納得されてくる。」と観る。

もう一つ注目されるのは源実朝との対面である。この件についての長明側は何も述べておらず、唯一『吾妻鏡』が記録しているだけだが、太宰治は「右大臣実朝」で、実朝との会見を取上げ、実朝が長明氏に向かって「モウヨイ、ソノ深イ欲モ捨テルトヨイノニ」といって席を立ち、周囲の人に「ナカナカ、世捨人デハナイ」と述べたと書く。一方本書は実朝を「痛々しいほど苦悩に満ちたあの若者」と描き出した後で、「-あなたはまだ、自分を出し切っていない」と彼にいわせる。この言が長明氏をして『方丈記』筆記につながったとする解釈だが、さて著者と太宰のどちらが長明氏を良く捉えているだろう。私は太宰が勝ると考える。「痛々しいほど苦悩に満ちたあの若者」は、将軍という「浮世」の重責を捨て自由に生きたいのだ。その彼の歌の師匠を希望する「世捨人」長明氏の浮世心の残渣を最終的に打ち砕いたと読む。

最後に取り上げたいのは、長明氏の暮らし向きのことである。私は、主人公がどのように食べていたかを実感出来ない作品は読む価値がないとする読者だが、本書でもこれに気を遣い、菊宮家を放逐されるとき、祖母と妻が相当の「手切金」を家司の右近に渡し、父親長継からの財産分与もあったと書く。もちろんこれらは現金(黄金)であり、荘園などではなかったと考えられる。それは長明氏の後半生の賄いに足りるものだっただろうか。堀田善衛も後鳥羽上皇の「寄人」に報酬はあったのかと心配する。長明氏に限らず王朝人の生活実態は判り難い。経済史家の研究を待ち望む。

『方丈記』にも記されているが、日野の終の棲家での無聊を慰める格好な「友人」がいたのは長明氏の晩年に色を添えた。山守の息子である。本書は彼に「がや丸」と言うニックネームを付け、彼の将来まで気を掛けてやっている。欲を追い詰める我が子を失った後、自然を愛する無欲の少年との触れ合いは、ここに来て良寬の「解脱」の心境を思わせる。長明氏の「最後の様子は不明。おそらく方丈の庵で、ひとりひっそりと死を迎えたのであろう。」と著者は結ぶが、穏やかな末期だったと信じたい。







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