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映画
かけがえのない平凡さ
書籍・作品名 : パターソン
著者・制作者名 : ジム・ジャームッシュ監督 2016年  
三好常雄(すすむA)   62才   男性   





奇才ジム・ジャームッシュ監督作品である。何回も観た。「癒される」。

一市民の日常生活の尊さは、今ウクライナで、ロシアで、特にロシアでは若者が戦争の大義も納得できずに戦場に駆り出され、11万人も死んでいる時だから、この映画を観ていると、いやさら身につまされる。

ニュー・ジャジー州パターソン市のバス運転手パターソンの日常生活を日記風に描く映画である。作品はその一週間分が切り取られている。バスの車庫近くの小さな一戸建住宅に住む一家。と言っても、パターソンと妻のローラ、ローラに「恋して」いて夫が妻にキスするたびに嫉妬して吠える生意気な飼い犬ブルドックのマーヴィンだけの極小家庭。草食男子風の夫に対し、「専業主婦」風の妻は何事にも積極的だ。芸術家肌で毎日家中を作り替えたり、絵を描いたりしている。今週は夫にねだって、ギターと教則本を通販で買った。カントリ・シンガーになるのだという、「年を取ったら積極的にならなきゃだめよ」と夢見がち。今週末は自家製のカップケーキをバザーに出すと張り切っている、毎夜見た夢を夫に話す。月曜日はローラが双子を産んだ話うだ。ただ面白がる夫。

寡黙な夫は詩作が趣味。「秘密のノート」に書きつけているが、たまに妻に読んでやる外には発表する気はなさそうだ。ローラはそれをじれったがり、何度もコピーが欲しいとせがむ。どこかに売り込む気なのだ。夫は6時半に起き、一人でシリアルを食べ、弁当を持って出かける。点呼とは逆に家庭の些事を嘆くインド人の検査員を慰めて発車、昼休みは一人で弁当を食べながら、ノートに詩を書き込み、夕方帰宅すると妻の一日の報告を聞いてやり、夕食後は飼犬を曳いて(実は犬に曳かれて)散歩。途中バーに立ち寄ってビールを一杯飲んで帰宅。判を押したような日常。

監督はパターソン一家だけを撮りたいのではなく、同名のパターソン市も撮りたいらしい。市は人口15万人弱の中庸都市、黒人人口比が33%と一番多い。パターソンのバスは黒人街を走るのか、乗客のほとんどは黒人だ。華美ではないが不満なく暮らしている住民の様子がうかがえる。今朝双子の話が出たせいか、パターソンの目線は双子に向きがち。双子の幼児から老人まで、彼らの顔つきからも街の平安が示唆されるシーンだ。イタリアのウンベルト一世を暗殺したのはこの街の住人だったと、バスの中で物知り顔に話す女子大生。さりげなく激動の歴史も語られる。今は市の観光スポットになっている落差70メートルの「グレートフォール」で発電し、紡績工場で栄えたのが市の発祥だという。古びたレンガ造りの建物が歴史の古さを示す。

コメディアンのルー・コステロ (1906-1959)の銅像が広場に立っており、パターソン出身の詩人(ローラがカルロス・ウィリアムズ・カルロスと呼び間違えた)、ウィリアム・カルロス・ウィリアムズ(1883-1963)や、 アレン・ギンズバーグ (1926-1997)の名が作中でも上がる。この街の詩人は彼だけでは無いらしい。「Water Fall」を雨に見立てた少女の詩(ジャームッシュの作だそうだが)は謎かけが奇抜だ。ウィリアム・C・ウィリアムズの足跡を訪ねてこの街にやってきた日本人詩人(大江健三郎そっくりの風貌)は何でも「誌的」にしてしまう。彼との奇妙な会話がこれまた楽しい。

「穏やかな市パターソン」を象徴するもう一つのシーン。パターソンが通うバーで、若い黒人男女の色恋沙汰が続いている。「もう終わった」と嫌がる女性に愛を懇願する俳優志願のやわな男性が、にわかにピストルを出し、受け入れてくれなければここで死ぬと自分のこめかみに向ける。咄嗟に男に飛びついてピストルを取り上げるパターソンだが、おもちゃのガンだった。パターソン市が「違法な銃に反対する市長の連盟」に加盟する有力な都市であることを示すもう一つのエピソードの映像化と読める。

その反対に、私には見過ごすことのできない小道具もあった。ベッドの横の写真立て収まっている軍服姿のパターソン。映画は何も語らないが、この映画公開の2016年が「作品内現在」だとすれば、パターソンは志願して、イラク戦争またはアフガニスタン戦争に行ったことを示す証拠をさりげなく示していると読める。あの静かな男パターソンの怒りは何だったのだろうか。戦争から何を学んだのだろうか。私の違和感は続くが、周到に仕組まれたものだから仕方ない。

妻のカップケーキ完売を祝して外出するパターソン夫妻。その留守に「嫉妬に狂った」飼犬が、パターソンがうっかり置き忘れた「秘密のノート」を食い千切ってしまう。気落ちするパターソンだが、お仕置きとして愛犬をガレージに押し込めるローラをいさめる。気晴らしの(犬を連れない)散歩の帰り道、即興の詩を口ずさむ。これからも詩作は続くだろう。






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