文学
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存在の不確かさを描く
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書籍・作品名 : カラスの街
著者・制作者名 : ポール・オースター/柴田元幸訳 新潮文庫2013年
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三好常雄(すすむA)
62才
男性
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ポール・オースター Paul Auster〚ニューヨーク三部作The New York Trilogy 1987〛の第一作である。個人の「存在の確かさ」などは無いんだということを、初めから終わりまで主張している小説と読んだ。話は実に面白く、そんな解釈なしでも十分楽しめるストーリー展開だとも読んだ。作家が「ポストモダンの旗手」の名を高かしめている証左だ。
主筋は、実の息子が語る神の言葉を聞くために、彼を9年間にわたって暗室に閉じ込めた老教授を巡る話である。教授は「創世記」が描く「バベルの塔」の崩壊以来、人々が勝手な言葉で話すようになり、世界はバラバラになってしまったと信じ、息子を俗世間から完全隔離して育てれば真正な神の言葉を話すようになると考えている。9年後教授は実験が成功しなかったことを知り、書斎で膨大な資料を燃やしているうちに火事となる。駆け付けた消防隊によって息子は救助され、父親は精神病院に収容されるが、近々退院し、自分の理論を実証し得なかった我が子を殺しに来るという。
冒頭、父親からの救助を「ポール・オースター探偵事務所」に依頼する電話が、誤って三晩続けて作家のダニエル・クインにつながる。そこから混乱が始まるのだが、そもそもクインなる人物の存在が希薄なのである。
ダニエル・クイン35歳。一時は詩や評論、翻訳などを手掛け、通り相場な野心に溢れていたが、五年前に妻子を失い、同時に現実を失った。今はウイリアム・ウイルソンのペンネームで、私立探偵マックス・ダークが活躍する探偵小説を半年かけて執筆して生活費を稼ぎ、後の半年は、リアルな世界の方は彼の「探偵」に任せ、「探偵」の背中に隠れるようにして気ままに暮らしている。ウイリアム・ウイルソンという名も、元をただせばファンであり、常敗のNYメッツの二塁手ムーキー・ウイルソンから無断借用したもの。そんな彼が今度は間違い電話の相手先である探偵「ポール・オースター」を騙って依頼を引き受けるのだ。
依頼主のピーター・スチィルマン24歳は、神の言葉はおろか人間の言葉もまともに話せない発育不良児で、言語治療士で妻のヴァージニアのお蔭でどうにか暮らしている。彼の父親の名もピーター・スチィルマン。クインのなくなった息子の名もピーターという。
本物?のポール・オースターも登場する。電話帳で調べてクインが訪ねてみると、探偵ではなく「ドン・キ・ホーテ論」を執筆中の作家だった。その息子の名がダニエル。クインと同名だ。
ついでにあげれば、言語学者のスティルマンが、自書〚幸福と搭―初期の新世界像〛ででっち上げたボストンの聖職者ヘンリー・ダークはクインの探偵マックス・ダークと名字が一致する。Darkが意味するものも意味深である。こうして各人物の存在の不確かさが、名前を持って象徴される。
このようにクインは依頼を受けて、スティルマン老教授の尾行や、本物のオースターと接触してゆくのだが、この二人とのブッキッシュな会話も、作者の並々ならぬ蘊蓄を示していて楽しい。オースターは、名著〚ドン・キ・ホーテ〛は、実はセルバンテスがアラビア語で書かれた原稿を見つけて翻訳し、それを実際に演じて見せて、サンチョ・パンサに書き直させたというし、スティルマン老教授もヘンリー・ダークはハンプティ・ダンプティをもじった人物だという。ダークは火事で死に。著作は失われたが、彼の本ではスティルマンが残りの一冊を偶然に発見したことになっている。こうなると人物だけでなく著作までもが、その真偽のほどが怪しくなってくる。
その後、存在の不確かさを実証するように作家のオースターを除く全員が街の風景の中に消えてしまう。クインはスティルマン老教授の尾行を記した赤いノートだけを残して……結局物語は世界に類を見ない「ガラスの街」ニューヨークという魔都市を書きたかったのだ、という思いも湧くほど、作者はこの街の住所番地をしつこく書いている。
そして最後にこれまたどんでん返し。この本の語り手はクイン(の代理人)だと思っていたのが、最終段で、彼とは違う語り手が登場し、私が描いたこの物語の半分はクインが残した赤いノートから採ったと書いている。この本全体を信用してはならないとするメタフィクション仕立てなのである。
結局作家のオースターが言うように、「とにかく人が本に求めるのはそれにつきます―愉しませてくれるところ」。その通りでとにかく楽しかった。
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