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評者◆凪一木
その54 樵になれず、ビル管になれず。
No.3455 ・ 2020年07月11日




■同僚に、樵を目指して生きてきた「太った田中邦衛」のような風貌の男がいる。
 自然の中で自立して生きていくことを目指している。アウトドア派であり、孤独派であり、無頼派でもある。なのに、なぜかビル管に辿り着いてしまった。
 八王子市高尾にある多摩森林組合にいた。横浜生まれ横浜育ちで東京神奈川森林管理署にもいたが、希望の仕事とは違い、高尾に流れつく。
 桜の根をほじくり返すイノシシが多数発生するため、駆除する。檻の中に捕えられたイノシシの心臓を木の串でもって一突きする。その役目を一番下っ端の人間がやらされた。入ってすぐのことだ。そのうちに廃止された。
 『僕は猟師になった』という映画が、二〇二〇年八月に公開される。製作者による「イントロダクション」から一部抜粋する。
 〈京都で、猟をする千松信也さんの、彼にとっては平凡な日常に取材をしたドキュメンタリーでした。イノシシやシカをわなでとらえ、木などで殴打し気絶させ、ナイフでとどめをさす。命と向き合うために千松さんが選んだ営みに、残酷、という非難をはるかに超える「憧憬」が集まりました。〉
 私なりに解説を加えると、「憧憬」とあるが、本当は、言葉に出来ない衝撃や苦痛、恐れの方が正しい表現に思える。それほど生臭く暴力的だ。
 〈木などで〉とあるが、一応は捕獲用に改良された木の棒を、剣道の竹刀を振るように、介錯人が日本刀を振るように、わなに嵌まった片足を引っ張って抜け逃げようとするイノシシの頭に向かって「振り下ろす」。それだけを見ると残酷としか言いようがない。
 千松さんが、イノシシに対して、何の愛着もないのかというと、そうではない。アイヌが「神」と崇め、共生する生きもの、熊やシャケに対して、やはり「殺して、いただく=食べる」という行為に近い。それになにしろ、ただ趣味や娯楽としての殺害ではなく、食べるために、また害獣駆除としての殺害でもある。ただし、公的な機関では、直接手で撲殺するようなことはしない。遠隔監視し、わなを仕掛けた檻の入口の扉を施錠し、麻酔銃で撃った後、薬殺などする。と思っていたら、「設備の邦衛」から、串で一突きの話を聞く。
 私は、基本的には肉を食べない。嫌いだからだ。牛丼も、鶏の唐揚げも食べない。だから、そのために牛や鳥を殺すことはしない。ということは言えるのだが、しかし、私以外の人が食べたいという場合はどうするのか。家族やその他の友人が、食べたい。しかし、その人たちがたとえば、重度の障害などで、「殺す行為」を出来ない。やりたくはないが、そのとき、私は「やる」だろう。
 「自分の食べる分は自分で」という社会にはなっていない。役割分担がある。食肉加工もそうだろうし、清掃も、介護も、売春もやりたくない職業に含まれる。
 ただし、それらは、ロボットやAIがかなり肩代わりする世の中も実現していくだろう。それでも、同じようにいつだって、「下位」に位置する出来事は起こりうるわけで、イノシシに向かって、木の棒を振ったり、鋭利なナイフで心臓を一突きする行為からは、どのような生き方においても、問われる場面があるはずなのだ。
 この映画の千松信也は、京都大学を出て妻と子供を持つイケメンのインテリだ。その男が、イノシシに向かって棒を振りおろし、ナイフで心臓を刺す。殺すシーンは、何度も登場する。皮を剥ぎ、食用に調理する。
 イノシシは、かなり可愛い動物に私には見える。私の祖父は、熊を撃ち捕獲して新聞やテレビでも取り上げられた猟師でもあったので、私の子供のころは、休みの日、朝早くに、犬とともに、異常に乱暴な祖父の運転で山に一緒に入っていった。ウサギやタヌキ(これは調理したがまずくて食べられない)を撃ち、やはり血だらけになって皮を剥ぎ、母などが食用に解体作業していた。
 一九人の重度障害者を殺した植松聖は、対象がコミュニケーションのとれる「人間」ではないから、「生きていても可哀想だから」殺したという。
 人間は、飢えた状況では、食用にもなる。『アンデスの聖餐』『ひかりごけ』『軍旗はためく下に』。植松は、そうではなく殺している。
 「人を殺してはなぜいけないのか」という問いが、世間を騒がせた時期がある。私なりに当時辿り着いた答えは、殺しは究極の「差別」行為であるからで、動物以下だと思うから「やる」行為であり、差別ということ自体を何とも思わない奴がやる行為であろう、と考えた。
 差別に関して、おそらく私は多くの人以上に敏感だ。差別という、これはしかし多くというよりすべての人間に内在している問題であると思うが、このことからいかに逃れ、また克服しようとするかが、価値であり目標であり、人類存続にもかかわっていると私は考えているし、実践して生きているつもりだ。
 マルクス・ガブリエルの番組を見ると、人殺しがダメなのは、「マイナス行為」であるからだと言っているように見える。地球破壊(人殺しも含めて)は、「自由な欲求」の一つではあるが、それが悪なのは、未来の人類が自由を失うからだ。未来の人にとっての、世代間の不公正を生んでいる。要は、差別行為である。善とは、未来の人間の協調する空間を増やすこと。
 殺す痛みを知らずに、食べてばかりいて、死んでいく人間というのは、それで良いのであろうか。このことを問うこの映画自体が、抵抗であり、試みだ。
 今いる会社がブラックなら、「さっさと辞めて他へ行け」と意見はできる。だが、それを簡単にできないからこそ、無意味に耐えて、「馬鹿な」と言われる自殺をしたりする。しかし、もし辞めることができないならば、逃れられなければ、その場で、その上司や、そのいじめっ子を「変える」ことはできないものか。安倍の首ではなく、人間を変えることはできないものか。そうでなければ、「殺し」をする人間から逃れることはできない社会だと、私は考えている。
 誰かにイノシシ殺し、介護(その一人が植松でもあった)を任せているからこその安楽ではないのか。
 「設備の邦衛」は、今日も「向いていない」ビル管の勉強をしている。
 その隣にいる私には、いったい何が向いているのだろう。自分の首を変えることはできない。
(建築物管理)







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