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評者◆凪一木
その49 夢工場
No.3450 ・ 2020年06月06日
■ビル管を構成する人間のほとんどは元サラリーマンであるけれども、たまにフリーの人間が入ってくる。フリーターではなく、その世界でそれなりに生きてきた人間だ。その中でも多いのはカメラマンだ。
デジタルカメラの登場で、早くに影響を受けた世界であり、出版業務の中でも最初に経費で削られた部門とも言える。編集者が代わりに撮れば、それで済むとさえ解釈されて、新聞も雑誌も、次々にカメラマンの起用を辞める。著者や編集者、デザイナーに比べていち早く仕事が減ったジャンルであり、アブれて入ってきた世界がビル管であった。それは第二の人生と割り切るよりも、ビル管の空いた時間に「本業」をして、やはり多くのカメラマンが「カメラを捨てる」ことはなかった。 見かけ上は、収入的にも、完全に「ビル管のついで」であり「副業」でありながら、彼らにしてみると、本業であった。趣味的にしか見えなくとも、その場所への完全復帰を考えていた。T工業にも何人かいる。一人は年齢的に諦めてはいるが、撮りたいものを独自に、収入的なものとは別に撮ろうと考えている。 そして今の現場の彼は、かなり活躍していた人物だ。『VOGUE ITALIA』に何度も載り、ニューヨークでは今でも彼の写真は売られており、海外を渡り歩く生活でハワイでは三年ほど暮らし、車はフェラーリ、別れた妻が国際線のキャビンアテンダントという、華やかな時代があった。現在はというと、休みや明けの日に、著名人の結婚式やモデルの撮影にアシスタントを従えて繰り出すが、ビル管をやりながらの撮影で、モチベーションは落ちている。それでも、今発売中の雑誌『美premium』(フォーシーズンズプレス刊)には、彼の写真が掲載されていて、華やかに生きてきた自負もあり、フェラーリに乗っていた風情を現在も感じさせる。見かけの腰の低さとは裏腹に、プライドは思った以上に高い。 六四年一二月生まれのフェラーリは、専修大学松戸高から専修大学を卒業しカメラマンとなった。この同じコースを、一学年下の俳優仲村トオル(六五年九月生まれ)、二学年下のミュージシャン小野正利(六七年一月)も確かに通ってはいる。だが、彼が感慨深げに、「小野正利がいて、仲村トオルがいて、僕があの校門をくぐっていたんだよなあ」と語る姿は、やはりどこか滑稽だ。小野と仲村の二人は良いとして、フェラーリは今、ここのビル管でしょう。 アナウンサーの生島ヒロシも、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校ジャーナリズム科を卒業しているが、その大学の三大有名人は、自分と映画監督スティーブン・スピルバーグとカーペンターズだと言っている。それじゃあ四人じゃないか。 須賀良という俳優がいた。晩年はVシネマに出ていたが、口癖が、こうだった。 「俺は、『少年漂流記』(原作は『十五少年漂流記』)でデビューしたんだけど、一五人の中で今残っているのは、石橋蓮司と俺だけだ」 「石橋蓮司は確かに今も活躍しているけれど、須賀さんは、未だに誰にも知られていないじゃないの」という言葉を、私はいつも咽喉元で止めていた。 城春樹という、これもVシネマの俳優がいる。早世した川谷拓三という大部屋出身の伝説の俳優を出汁に使う。「かつては西の川谷、東の城と言われたんだ」。 確かに一瞬だけ、どこかの現場で、そう呼ばれていた時期があったようだが、記録を調べても出てはこない。 フェラーリはしかし、城春樹や須賀良と違って、もう現役とは呼べないのではないか。こう書くと、じゃあ、お前(凪)はどうなのだ、とブーメランが返ってくる。悲しくなってくる。 フェラーリは私に、執拗に語りかけてくる。「凪さん、今のままで良いんですか。この場所に、いつまでいるんですか」「売れる者と売れない者との違いって何なんですかね」「お金を貯めて、写真の世界に戻るか、今辞めるか」。 『夢工場』という、『釣りバカ日誌』でお馴染みのやまさき十三の自伝的漫画がある。第七〇話に、会社を飛び出してフリーとなった先輩の助監督が登場する。背に腹は代えられないとばかりに、犯罪を方法論としてまで映画を撮っている。主人公は激怒する。 「お前、いつから、カスヤクザの、するようなことを、やるように、なったんだ」 「うっせえ! 手前みたいなスケカン(助監督)は、毎月給料貰って監督の声が上からかかるのを、ポケッと待ってりゃいいんだろうけどな!」 「資金作ろうと、徹夜徹夜でぶっ通しで働いてみたが、一年でたまったのがたったの百万よ!(中略)まともにやったんじゃ映画は一生作れやしない。ってことがよくわかったのよ!」 まともにビル管を続けても、写真の世界一本に戻ることは出来ないという懸念を常に私に向かって話すフェラーリ。 「大学時代に『ワン・ステップ』という曲が好きでさあ。パールというバンドなんだけど、夢を追う人はサラリーマンをやっちゃいけないという歌なんですよ」 私も知っているが、そんな歌詞ではなかった。だが彼が聴くとそう聴こえるのだ。 「最近、キンコン西野(漫才コンビ『キングコング』の西野亮廣)が良いこと言ってたんですよ」「どんなこと?」「鳥に羽根が生えているのは、飛ばなきゃいけない環境がそうさせた。飛ばなくても済む環境にいると、鳥の羽根も成長しないままになる。もし飛びたければ、そこにいてはダメだ、って」 実際にそう言ったのかは分からない。聞く者は聞きたい言葉だけを拾い、聞きたいように解釈する。まさに彼の気持ちがそうなのだろう。フェラーリの翼が悲鳴を上げている。この現場にいてはいけない。このままではいけない。 フェラーリは、会社で常に、スマホで写真を見ている。目を鍛えている。衰えないようにしている。モチベーションが落ち、会社やサラリーマンの邪念が入ると、シャッターを切れなくなるという。枯れたくはないと言う。 同じ現場には、元証券マンのマーシーがいる。なぜマーシーかというと、或る人物と似ているからである。ブルーハーツの真島昌利(マーシー)ではない。 フェラーリは、マーシーからこう言われた。 「凪さんとか、フェラーリさんとか、副業を持っているって強いですよね。羨ましいなあ」 その日、フェラーリはひどく落ち込んでいた。副業のつもりなどさらさらない。 私もまた、言いようのない寂しさに襲われた。 (建築物管理) |
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