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評者◆秋竜山
残像と余韻と静寂、の巻
No.3449 ・ 2020年05月30日




■四コマ漫画。
 一コマ目、雨の池。鯉が一匹、飛び跳ねて地面へ。
 二コマ目、地面の鯉を蛙が見ている。
 三コマ目は蛙はピチピチ跳ねている鯉をかかえあげて。
 四コマ目、蛙はかかえている鯉と一緒に、池の中へ飛び込む。古池や蛙とびこむ水の音、芭蕉。
 古池といえば芭蕉であり、芭蕉といえば当然古池となる。古池芭蕉と改名したとしても不思議はなかろう。古池伝説における、おびただしい本が出品されている。俳句好きにとっては一度は「自分はこー思う」というような論文を書きたいのだろう。十人十色の古池や、となる。であったとしても、同じようなものである。それであっても、それぞれミリョク的である。それだけに、この一句が素晴らしいからだろう。古池に蛙が飛び込んだ際、どのような音がしたか。ポチャン、であるとか。ポチャであるとか。それだけでも、この一句をたのしむのに充分である。それに、いろんな解釈による古池や蛙とび込む水の音である。
 四コマ漫画で考えてみた。一コマ目で、古池から鯉が飛び跳ねて地面へ。二コマ目で、地面の鯉を見ている蛙。三コマ目で、その鯉をかかえあげて、四コマ目で、かかえている鯉と一緒に、池の中へ飛び込む。これが、私のこの一句のマンガでの解釈である。古池から飛び跳ねあがった鯉と、その鯉をかかえて古池へ飛び込んだ蛙との一体化を意味する。
 外山滋比古『乱読のセレンディピティ――思いがけないことを発見するための読書術』(扶桑社文庫、本体五八〇円)。以前にも本書から引用させていただいている(ゴメンナサイ)。
 〈日本語の得意とする余韻も、残像作用によるところが大きい。古池や 蛙とび込む水の音 芭蕉 という句で考えてみる。“古池や”のあとに大きな空白があって、そこで古池の残像が余韻をただよわす。切れ字の“や”は、その空白を確保する役をはたしているのである。“古池や”のすぐあとに、“蛙とび込む”を続けては、やはり、残像を殺しておもしろくない。はたして、まるで無縁であるような“蛙…”を、もってくる。古池の余韻は深まる。そこでは休止、小さな余韻をひびかせるから、“水の音”をもってくる。そこでまた大きな空白があって、句全体の残像が余韻となるという次第である。(略)残像による余韻があってこそ、十七音の短形がよく自立しうるのである。〉(本書より)
 静かに降る雨の中、池を眺めている。それだけで静寂そのものだ。ひとりだと怖くなって逃げ出したくなる程である。実際に、昔、そのような水たまりのような小さな池とよべるかどうか、もちろん小雨の降る中。私は「これはいい」とばかりに、なにかしら釣れるだろうとしか考えられなかった。私一人であった(今考えてみると、どーしてあんな薄気味悪いところで)。もちろん釣れる魚もいるはずもなかった。すると池の中を一匹の蛇が、水面から、かま首をもたげてヌーッと目の前を横切っていったのであった。それを見た私は、その場をどのように逃げ帰ったのか記憶にないくらいである。残像と余韻と静寂であった。そして、気絶するほどの恐ろしさ。鯉や蛙どころの騒ぎではなかったのであった。もしかすると、物影で蛙がふるえていたかもしれない。







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