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評者◆凪一木
その47  二つに一つ
No.3448 ・ 2020年05月23日




■試験が終わった。結果から言えば、不合格だ。
 この感情はいったい何だ、と思った。失恋とか、就職の不採用とか、県大会予選での敗退とか、単にメンバー発表で、レギュラー入りすらできない無念の代表漏れとか、そういった気分と同等の、過去何度も味わってきた、あの寂しい感情であろうか。いや、どこか違う。
 こんな日に、家に帰ってきて『ブロウ・バイ・ブロウ』を聴く。日本版のタイトルは、『ギター殺人者の凱旋』。七五年発売の当時から下らないタイトルと言われてきたが、今となっては時代の差を感じさせて、崇高とは言わないが、七〇年代洋画チラシブーム時代の、空手映画やパニック映画のごとくに、懐かしさ以上のものを感じる。何の重みもないジョージ・ケネディが最後に登場して、「これで良いんだよ」とか言いそうだ。嗚呼、終わった。
 妻が、余りにも深くうな垂れている様子に対して、さり気なく、さり気ある言葉を吐いてくる。
 「また来年のために、むしろ良かったじゃないの」
 そういう問題じゃない。ブロウ・バイ・ブロウ。

 作家の友達がいる。彼は受験に関する著書もあり、その道のプロとも言える人物だ。
 「絶対に取りたい試験かどうかを考える。まずはそこからです。そしてそうであるなら、他のことを捨てるべきです。その試験のことだけに集中する。他の人の言葉や、他の本を書くとか、そういった一切のことを止める。一年間は全部それに集中する。もし絶対的に必要が無い資格なら、受験を止める。諦める。そうしなければ、どっちもうまくいかないです。肩入れしている俳優のブックを作ってみても、本はもちろん、試験も不出来になる。どっちつかずになる。どっちもダメになる。試験もダメ、本もダメ」
 さらに続ける。
 「文章に、とことんまで費やすことができないでしょう。凪さんの文章は、とことんまで行って、なおかつさらに突き進むところが魅力の文章だったじゃないですか。そこが失われていくという臭いが少しでもしたら、(勉強時間での)手抜きが少しでもバレたら、魅力ないですよ」
 ショックだった。片手間ではないけれども、試験一色の一年間を過ごすつもりなどなかったからだ。
 「勉強すると景色が変わります。傾向がどうとか出題範囲がどうとか、そういったこととは無関係に、どんな問題でも、どんな傾向であれ、なんでも来い、何が来ても大丈夫という自信に満ちた瞬間が現れます」
 だが、あと「一年」という時間がとても勿体無い気がする。二年目で受かるということは、「浪人という貴重さを知る者と知らない者との差」ぐらいの違いはある。だが五七歳という一年間……。
 忌野清志郎の五七歳は、「完全復活SP~復活への道ドキュメント」が放送され、「おもいッきりイイ!!テレビ」に出演し、そこで披露した間寛平「アースマラソン」応援ソング『走れ何処までも』も発売された。その二カ月半後に五八歳を迎えて、その一月後に亡くなる。
 手塚
治虫の五七歳は、二年半を掛けた『アドルフに告ぐ』が完結し、第一〇回講談社漫画賞(一般部門)を受賞した年だ。三年後に亡くなる。
 鶴田浩二の五七歳は、鶴田の最高傑作と言って良い「男たちの旅路」(山田太一脚本)が完結した年でもある。五年後に亡くなる。
 私の五七歳が、どれほどに貴重かはわからない。だが、最高傑作を遺せず、アドルフに告げられず、何処までも走らず、試験に圧し掛かられるような記憶を抱いて死んでいくのは嫌だな、と思った。
 尾崎豊の『17歳の地図』は、発売されてすぐに聴いた。私は二一歳の浪人三年目だった。ほんの少し昔の懐かしくも感傷だけでは聴くことができないリアルな、それでいて苦しさに襲われた。自分の地図はいったいどこにあるんだ。その後に、『四十八歳の抵抗』(石川達三)という小説があることを知り、読む。ずいぶんと遠い先の年齢のことで、自分とはおよそかけ離れたおじさんの話にしか読めなかった。だが、もう、その「おじさん」をさらに過ぎて、地図も描けず、抵抗も出来ずにいる。
 五七歳の一年間、すべてを費やすわけではないけれど、勉強以外のその他の時間も、少なくとも試験のことが頭から離れることはないだろう。それはすなわち縛られた時間ということができる。勉強しながら、或いは勉強を離れても、そんなことばかり考えていること自体も嫌だ。
 たとえば、その費やした一年間の時間分を何か別のことに使ったとして、甲子園の全試合を見て、映画を観て、NHKの朝ドラを全回見て、本を読み、それで結局何なのよ。逆に、来年も、この先の人生も、そうなのか。
 試験の出来が悪いというのは、作品と違って後世に何も残すものではないので、出来の悪い作品がいつまでも存在することで、後悔したり、尾を引いたり、或いはのちのち別の形でさらに影響を大きくしていくという、そういう類のものではない。
 それだけに、試験の出来の悪さは、「蚊に食われた程度だ」と解釈してはみるものの、結構つまらないなりに打撃のあるものである。もし銭さんが、一〇三個の資格のうちを一〇個程度で十分としていたなら、後の九三個分の試験勉強時間を、いったい何に費やしていたのであろうか。
 資格というのは、取れば取ったで、誇りたくもなるし、取らなければ、取ることの不要論を唱えたくもなる。
 作家は続ける。
 「絶対に勉強と並行して、参考書なんか書こうとしたらダメだよ。どっちもダメになる。そんなことは受かってからやることです」
 新宿から帰って、その話を妻にした。ダブルパンチを食らう。
 「あなたは、一度どん底まで落ちてから、上がるパターンの繰り返しだから、今度もまたそうなのよ。もしガンにならなかったら、もうとっくの昔に死んでいるでしょう。酒とタバコと暴飲暴食で」
 「そりゃそうだけど、そのたびに、お先真っ暗になるのは、もう嫌だな」
 「致しかたないわよ。落ちなきゃ生き延びてないでしょう。甘く見ていると、死んじゃうわよ。だからまた一年しっかり勉強しなさい」
 「他人事だと思って、よく言うよ」
 「そりゃ、そうよ。他人事だもの」
 「……」
 気持ちの弱っているときは、ギャグ一つ返すことができない。
 さあ、来年に向かって、五七歳のギャグは封印だ。
(建築物管理)







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