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評者◆凪一木
その46 試験前に死なずに済んだ。
No.3447 ・ 2020年05月09日




■事故は起きる。起きるたびに、会社側の説明としては、「万全の体制の中で、不慮の、不測の、イレギュラーな事態が重なって、有り得ないことが起きてしまった」などと説明される。
 「いつでも起きかねないような危険な状態の中で、起きるべくして起こった」などとは、外部による事故解明がなされて、初めて分かることである。事実がそうであったとしても、隠ぺいされる場合もある。
 五二〇名死亡の日本航空ジャンボ機墜落事故をモデルとした『沈まぬ太陽』という小説、及びドラマがある。
 墜落事故の二〇年以上前にも、人員不足による過重労働で、作業時間の余裕のなさが招いた死亡事故が起きている。事故を起こした整備士たちを、運航技術部などは、蔑んで「油虫」と呼んでいた。
 『沈まぬ太陽』では、労働組合が、整備士を含む安全な労働条件確保や待遇改善を求める。だがいくら訴えても、利益優先で、無視、放置、見て見ぬふりどころか、労組委員長を嫌がらせの懲罰人事で、左遷のレベルを超えて、流刑、島流しに等しい報復を強いる。
 死亡事故の経緯は、こうだ。航空機折り返し便までの短時間では、十分なガス抜きは出来ず、三人の整備士のうち二人は現場を離れ、タンク内を見守るウオッチマンがいなかった状態で、酸素マスクを着けずに作業したのだ。
 JCO臨界事故を起こした原発では、ウラン化合物の粉末を溶解する工程でステンレスのバケツで作業という「裏マニュアル」が行われていた。
 関越自動車道高速バス居眠り運転事故では、国土交通省関東運輸局の立入検査により、営業区域外旅客運送や、日雇労働者を運転者にしたり、過労運転をさせるなど三六件の法令違反が見つかっている。表沙汰には出来なくとも、後ろ暗い事情は、大手企業も含めて、かなりの現場で抱えているものである。
 ビル管は、一見「お気楽」そうに見える。過酷さも、目標も、ノルマもないが、しかし一方で、油断すると死にかねない現場ということは以前書いた。
 感電事故、ガス爆発、薬品や劇物の臭気、ボイラーの二〇〇℃近い蒸気。病院なら感染。高置水槽やマンホールに落ちる。空調機のスクリュー、Vベルトなどに挟まれて死ぬ。
 知り合いが電気で死亡した話は、その同僚から口が酸っぱくなるほどに、何度も聞かされた。新しく入ってきた同僚もまた、死亡事故を経験したという。上野のマルイで、暗闇の中、足場があると思い込んでダクトに落下した。
 ところで、ビル管(=ビル管理)を続けながらも、危険率を小さくする方法がある。ハッキリ言うと資格だ。ビル管は、ビルメンとも言われ、ビルメンテナンスの略である。ビルメンテナンスは、BMとも略されるのだが、ビルメンの世界でBMというと、ビルメンテナンスのことではなく、ビルマネージメントのことを差す。通称「ビルマネ」という。自衛隊員の多くが高校卒業後に二等陸士から出発するのに対して、防衛大卒業などの幹部候補生が一方に存在する。どんな世界にもキャリアとノンキャリア的な差別が存在するが、ビル管においては、いわゆる普通のビルメンとビルマネとがそれに匹敵する。ビルメンの中から、「建築物環境衛生管理技術者(ビル管)」や「電検三種」などを取得して、管理職であるビルマネ(多くは大手の系列企業が独占している)に就職し直すことでビルマネになれる。実際にどうなるかは別として、私は、ビルマネの可能性を一つの目標として、試験を目指してもいるわけだ。
 試験前のことだ。私は、ビル管の性格上、多くの者が職場で勉強時間を稼ぐように、サボるというわけではないが、少しでも早く点検を切り上げたかった。
 マンホールに落ちると、かなりの確率で死ぬ。そんなことは分かっている。たとえば路上でも、意外に気が付かない場所にあり、地下で工事をしているが、カラーコーンがあっても気が付きにくい。
 その日、地下二階に在るスプリンクラー室でのことだ。マンホールを開けて、地下四メートルの空間に、巨大な防火水槽がある。水の深さは二メートル三〇センチ程度だ。人間の身長よりは高い。水の表面が、マンホールの口からすると、一メートル七〇センチほどの深さに存在する。おそらく落ちたら、巧くすればなんとか助かるが、上手く行かなければ、お陀仏だ。
 しかし、上から覗くと、それほどの危険が潜んでいるようには全く見えない。ときどきペンを落としたりするので、とっさに手を伸ばしたりして危険であるから、本来は命綱も必要だろう。「KY(危険予防)チェックシート」にも記述されている。なのに、設備員は、(本来やってはいけない)脚立の天板に登ったり、ヘルメットなしでの点検や操作をしたり、二人一組が必須の作業を一人で行ったり、シートベルトをしないで運転するような行為を繰り返しているのが、多くの現場である。理由は明白だ。その危険性を伝える教育がしっかりしていない。甘く見るような慣習が、業務自体に潜んでいる。業界自体が死亡事故や怪我を重要視していない。
 この現場でも、無意味な慣習が横行していた。本来は、便利で安全な光量子センサーや超音波を使った水深測定器を使用すれば済む話なのである。だが親会社が建設会社で、その余剰在庫の、道路工事で使う木製の水深測定板を代用していた。命綱も付けていなかった。
 「あいつが馬鹿だから勝手に死んだんだろう」
 「仕事も出来ない奴が、不注意をやらかしただけだろう」
 「そんな細かくて面倒くさい注意義務を守っていたら、仕事なんて出来ないよ」
 警察官や自衛隊員、消防団員などは、きめ細かい訓練や決まり事によって、事故を防ぐように、予防措置がなされているし、警備員にしても、新任教育、現任教育などの座学や、定期的な救命救急講習が義務付けられている。
 だが、ビル管は、試験は多数あれど、実践的なものは少なく、日ごろの危険性を見逃し、見過ごしがちなのだ。
 一件の重大なトラブル・災害の裏には、二九件の軽微なミス、そして三〇〇件のヒヤリ・ハットがあるとされる。ハインリッヒの法則という。その日、私はなんと、水深測定板を二度も水槽の底に落としてしまった。落ちていく瞬間に、手を伸ばして、完全に落下態勢に入った。偶然助かっただけだ。
 危険回避か事故回避か。
 試験まであと一週間である。
(建築物管理)







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