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評者◆凪一木
その43 サラリーマンになった。
No.3444 ・ 2020年04月18日




■高度経済成長以降の日本人なら、何か若いころに職業に就こうと思ったら、学者や作家やミュージシャン、映画監督などを考えるよりも前に、圧倒的に、サラリーマン(民間会社、国や地方自治体、公企業などの勤務者)というものであろう。
 サラリーマンがほとんど全部を占め、どれに就こうかなどと選ぶよりも、まずサラリーマンになるか否かが大命題としてあるはずだ。サラリーマンになるために大学に行くか行くまいか、行くならどこに行くか。それが問題であった。郵便局員、鉄道員、建築作業員、たこ焼き店員、皆どこかの会社(や商店)からサラリーをもらうわけだ。
 三浦友和の『相性』(小学館文庫)という本を読んでいると、元駐在所勤務だった父から、高校時代の彼がこう言われている。
 〈「世の中の70%はサラリーマンになるんだ、日本っていう国は。学歴がないと一生、苦労するぞ」〉
 これは六〇年代に発せられた言葉だ。私は三浦友和より一〇年あとの六二年生まれだから、七〇年代最後の高校生にとっては、世の中の八〇%ぐらいがサラリーマンという印象だった。実際の職業別就業者構成割合の推移を、総務省統計局の「国勢調査」「労働力調査」で見ると、一九五〇年代に全体の四八・〇%を占め最も割合の大きかった農林漁業作業者が減少し続け、二〇〇九年には四・一%となり、一方で第二次、第三次産業の発達に伴って雇用者は増加し、二〇一二年では,就業者に占める雇用者割合は女性で八八・八%,男性で八七・一%となった。
 私の子供のころの印象はどうかというと、サラリーマンなど一割程度だった。生まれ育った真狩村(北海道)は田舎の農村だったため、また時代が前世紀の六〇~七〇年代だったため、サラリーマンの数は少なかった。農業が半分以上、ほかに、私の家(鉄工所)などのような商店、金物屋、床屋、時計屋、板金屋、布団屋、呉服屋、仕立屋、左官屋、パチンコ屋(在日朝鮮人が経営)、ホルモン屋(これも別の在日朝鮮人が経営)、喫茶店(村に一軒だけあった)、それにスーパー(といっても農協ストア)、映画館、ガソリンスタンド、ラーメン屋、旅館(ド田舎にもかかわらずなぜか存在した。村長が経営していた)といった自営業が三~四割いて、あとの一割を、転勤組(他の町からやってきて、また去っていく人々)と言われた教師、商工会議所、土木現業所、警察官、消防署員、銀行員(正確には北海信用金庫なので信組員)、農事指導員が占めていた。
 この「一割」が、私にとってのサラリーマン(都会の職業)というイメージであった。自分で報酬を生み出すのではなく、国や社長に仕えて、「我慢代」「従い賃」「怒られ賃」をもらう、という感覚があった。国や北海道や札幌など「上」からお金を貰い、そのお金で、村で買い物をし生活している。今考え直してみても、当たらずと言えども遠からずといった印象だ。
 高校を卒業して浪人しているうち、八二年に早川義夫が『ぼくは本屋のおやじさん』(晶文社)という本を出した。これが『就職しないで生きるには』シリーズの第一巻としてその後は続々と刊行される。時代はまた、会社員ブームが廃れて、自営業や自給自足的フリーの職業が見直され、或いは注目されることになったのかと思った。
 この「就職しない」シリーズが、またここのところ同じ晶文社から出始めている。二〇一三年に『旗を立てて生きる』(イケダハヤト)が刊行され、第二巻目の『荒野の古本屋』(森岡督行)が、私がビル管の学校に通っている二〇一四年三月に出て、五巻目の『小さくて強い農業をつくる』(久松達央)は、就職して二ヶ月目に登場した。こんな時代にあって、私のやっていること(つまり就職して生きること)は、まるで世の中に逆行しているように見えた。私の主義にすら反しているのではないか。
 八〇年代に「オレたちひょうきん族」を見ていた。明石家さんまが、タケちゃんマンに対抗して「サラリーマン」という自虐的なキャラクターを演じていた。当時、私とは永遠に無関係な存在として見ていた。おそらくはバカにして、笑っていた。
 一度は物書きとして、就職せずに生きていた時間が少なくとも一五年はあった。だが、それがいったいなんだったのか。実際その一五年間の生活費は、就職以外の何から稼いでいたのか。以前の就職時代の預貯金や妻の稼ぎ、親や親戚からの援助、アルバイト、そんなことではなかろうか。
 種類の上では、サラリーマン以外にこんなにもいろいろと沢山の数の職業があるというのに、しかしそのどれもが僅かな可能性でしかない。たとえば、農業をやるなら、或いは商店を開くなら、その長男が継ぐ。俳優になるなら、競馬の騎手になるなら、やはり俳優の息子、騎手や厩舎、調教師の息子、レーサー、力士、画家、物理学者、仕事は何でもあるけれど、サラリーマン以外はどれもが、「実子」以外には狭き門だ。
 たとえば陸上自衛隊でいうと、普通科、機甲科、特科、航空科、施設科、通信科、武器科、需品科、輸送科、化学科、警務科、会計科、衛生科、音楽科、情報科と一五も科があるのに、そのうちのほとんどが「歩兵」と呼ばれる普通科に属するようなものだ。職業の数はいっぱいあるのだけれど、結局は夢や理想でしかなく、ブルーカラーであれ、ホワイトカラーであれ、皆、歩兵たる「サラリーマン」に落ち着くというわけだ。
 一国一城の主(商店主、農業、芸能人、スポーツ選手など)にはなれない。フリーをあきらめて、会社の傘下に入ってサラリーマンに殉ずるということは、つまりは金に転ぶ。転がされる。金のない地方が、青森や福井や沖縄や北海道が、日本全国の貧乏な地方の町や村の全部が、自給自足や自立の理想をあきらめて、基地や原発やゴミ捨て場を受け入れて金を貰うみたいな感覚がある。奴隷のような存在と化していく。
 退職までの「残り時間」とはいえ、長い。正規雇用・非正規雇用とは、会社側の都合であり、自らは会社ではなく職業を選んでいるだけの労働者である。過酷な労働条件にはNOを言わなければいけない。低賃金と引き換えに人間性まで明け渡してはならない。底辺であれ、最良の仕事をしたい。サラリーに見合った仕事をこなしたいわけではない。
 労わりの詩を謳うつもりはない。闘いの歌しか歌わない。
 試験勉強をしながら、そう思っている。
(建築物管理)







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