|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
評者◆越田秀男
戦後文学を再点検、磯田光一、花田清輝らを取り上げる(「群系」)――それぞれの戦後昭和の風景(「九州文學」、「あるかいど」、「SCRAMBLE」)
No.3437 ・ 2020年02月29日
■平敷武蕉さんの、沖縄文学の“豊饒”を希求する論考を集積した『修羅と豊饒――沖縄文学の深層を照らす』がコールサック社から刊行された。豊饒と対をなす“修羅”――武蕉さんが令和を詠んだ句――〽沖縄を見殺しにして 令和――令和に沸く日本、しかしその光景は次の句と重なる――〽壮行や深雪に犬のみ腰を落とし(中村草田男)――戦地に赴く兵士の壮行、犬のみがその輪から外れて……。
『辺野古の海辺』(中西洋子/相聞70号)――中西さんは沖縄での民間伝承に係る学会参加と海神祭見学に宜野湾市を訪れ、その足で辺野古に向かった――「辺野古の問題と伝統的な海神祭と――。一見相容れないもののようでありながら、しかしそれもこれもまるごと沖縄なのであった」。辺野古を詠む――〽いつまでも眼底さらぬ。大浦湾辺野古の渚、土砂積む浜辺 『震災はどのように詠われてきたか』(逢坂みずき/塔779号)――平和ボケの日本とも言えなくなった。平成年間で震度7、阪神・淡路・新潟中越・東日本・熊本・北海道肝振――集積され分類された震災歌から、戦災とを重ねた歌――〽ヒロシマの原爆と重ね東北の原発事故のぬけがらの街(石橋妙子)。もはや重ねるまでもない――〽女なり男なりを超えたるかたち網に掛かりて帰りたまひき(梶原さい子) 『〈特集〉戦後日本の再出発――昭和20~30年代の文学』(群系43号)――総論担当の永野悟さんがその締めくくりに選んだ一人が磯田光一。磯田は野間宏に対し「マルクス主義のために殉じた青年が関心の対象になりえても、聖戦思想に殉じた人々の姿が、何ら関心の対象になっていない」――対立軸の一方しか見ていないと批判。 各論で草原克芳さんが解説した花田清輝の“楕円の思想”は、磯田の論と結ばれる。楕円の中心は二つ、その対立軸をそのままに止揚する――この楕円の思想と、西田幾多郎、岡本太郎、埴谷雄高らの思想との相互関係を説いて圧巻だ。 『炭鉱の子歳時記』(木澤千/九州文學571号)――石炭鉱業の盛衰は戦後史を語るに不可欠。木澤さんは学童の目を通じてその風景と人間模様を優しく捉えた。全14章の一つ一つが小さな物語を形成し、喜怒哀楽を映す。最終章の「せん別と卒業」は“哀”で締めるのかと思いきや、先生の不倫、「僕は先生を嫌いになった」。 『塀の向こう側』(高畠寛/あるかいど83号)――この作品も戦後の風景には違いないが、チョット匂う汲取便所の話。三棟六軒が並ぶ市営住宅、南側は焼け野原。この野原に突如盛り土がされ、一二軒の借家が出現、つまり一二個の汲取口が目の前に! 家主と市営住宅側との戦いが始まった。高畠さんの文章が軽妙なので面白おかしく読んでしまうが、当時実際に土地建物を巡るいざこざは頻発してヒトごとではなかった。 『烏の家』(白井靖之/SCRAMBLE38号)――今から約40年前、埼玉の片田舎にも宅地開発の波が。まだ造成に至らない雑木林の一角に、いまにも倒壊しそうな廃屋、烏が棲み着いた。ウソ!? 老人も住み着き共生、ウソウソ!?!? しかし、烏はかつて神の使い、枕草子でも、秋の夕暮れ寝床へ「飛び急ぐさへあはれなり」。いつから敵対関係に? あれこれ思いを誘うオトナの童話。 『夜燈』(まえだかずき/詩と眞實846号)――村はかつて炭鉱と農業で栄えていた。そして炭鉱は今や世界遺産、米作農業は衰退し、もはや一部のガンバリ農家に預けるしかない。村の伝統的な祭すらが百姓からサラリーマンの祭へ。それでも祭を……祭に引き寄せられる心を素朴に描いた。 『薄紅色の闇』(野元正/八月の群れ69号)――桜専門の庭師である夫を支えてきた主人公は、夫が逝くと、一人娘が同居を誘うのにも耳をかさず、広い桜の庭と夫の面影と共に一年を過ごし、ようやく後継者を育てる思いに達する。しだれ桜、大島桜、葉桜、桜紅葉、冬桜、魁桜、主人公と共に読者も桜の一年を鑑賞する。 『竹の花』(和田和子/蒼空24号)――竹の花、百年に一度、優曇華ほどではないが神秘的……が、ヒトの寿命の延長で、人生の滅びの喩ともなってきた。物語は主人公の友が癌で世を去るまでの話。友といっても、同級生(男)の母で、村を仕切るほどの才女、どういう経緯で友情が生まれたのかその顛末もおもしろい。両者の関係は深くもなく浅くもなく、それでいて、読者をジンワリとした哀しみに誘う。 なお、一九三〇年創刊の「一路・純林」(佐久間裕子)が通刊千号を迎えた――創刊者・山下陸奥が詠った敗戦直後の富士――〽工場残骸の間に富士山はその一物体となりて黒く低く。一九六六年創刊の「海」(遠藤昭己)は一〇〇号。一九八七年創刊の「コールサック」(鈴木比佐雄)も一〇〇号。 (「風の森」同人) |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
取扱い書店| 企業概要| プライバシーポリシー| 利用規約 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||