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評者◆秋竜山
本を踏んづける、の巻
No.3436 ・ 2020年02月22日




■新聞や本や雑誌などを踏みつけて、なんとも感じない人間がいるだろうか。いないと思うけど、いるだろう。読みかけの新聞、開いたまま置かれてある本、そして雑誌など、場合によっては新聞のチラシであったりする。切りがない。学校の教科書、聖書であったりする。踏んづける人を無神経ゆえにというだろう。よくよく考えてみると、なぜ踏んづけてはいけないのか。部屋の中には、踏んづけてはいけないものがいっぱいある。いや、なぜ踏んづけてはいけないのだろうか。極論をいえば、寝そべっている人を、踏んづけてはいけないのか。よけて通るべきであるというのか。外山滋比古『乱読のセレンディピティ――思いがけないことを発見するための読書術』(扶桑社文庫、本体五八〇円)を読む。以前にもこの本を取りあげさせていただきました。そして、又。〈読書信仰〉というコーナーがある。
 〈「雑誌をしきもの代わりにして道路に坐っている若者がいましてね。胸が悪くなりました、わたしは、新聞でも、またぐことをしません、本を床に置くこともしません。どこか神聖なような気がするのです、時代おくれなんでしょうか」こんなことを言う人間はそろそろなくなりつつある。戦前の小学校は、授業のはじめに、教科書を開く前に両手で捧げもって、一礼したものである。都会育ちの人が、そんなバカなと笑ったことがあるから、田舎の学校だけのことだったのかもしれない。〉(本書より)
 私は戦後の小学校育ちであるが、この文章を読むと、よくわかるような気がする。私の場合は、戦後という何もない時代であったから、新しい教科書を手にしたときは、手ばなしにうれしかった。世の中に本などというものが存在していることすら知らない田舎の子供であった。考えてみると、本というものを知らない子供の頃があったことに自分ながら感動する。幼くて本というものを知らなかったことだ。もし私が山奥で生活していて、一生、本というものを知らずして死んでいったとしたら、それですんだことだろう。よく、たとえに、無人島へ一冊の本を持っていくとしたら、あなたはどのような本を持っていきますか? などという問いがあったりする。誰もが答えとして、それなりの本の名をあげる。「私は本などというものは、いっさい持っていきません。本無しの生活です」などといった人におめにかかったことがない。もっていったとしても、一回も開かなかったりして。
 〈本などと関係のない生活をしていても、本は読まなくてはいけない。読まないのは恥ずかしいことだ、という気持ちを捨てることができない。ヒマができたら、老後になったら心ゆくまで本を読んで暮らしたい。そういう人は、年寄りを中心にいまでもかなりいるように思われる。読書信仰の信者になるのは知的エリートだと自他ともに思い込む。とにかく、ありがたいこと。毎日、読むことは欠かしてはいけない。それができない自分はダメな人間である。と自らを責める人があらわれる。〉(本書より)
 今は、読書よりもスマホとにらめっこのほうが多いらしい。これもいつの時代まで続けられるかわからない。新聞や雑誌や本など、いくら踏みつけてもこわれるわけではない。ところがスマホの場合は……いや、踏んづけても大丈夫なスマホが開発されることは間違いあるまい。「踏んづけも大丈夫なスマホ」なんて、キャッチフレーズだったりする。「ヨシ、それなら買おう」なんて人もあらわれるだろう。







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