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評者◆秋竜山
時間よ止まれ、の巻
No.3434 ・ 2020年02月08日




■時計というものは、とまっているもの、それも何年も前からとか、それを時計といえるかどうか。こわれて針の動かないものも、時計とみなすか。こわれていなくても、ほったらかしの針の動かないもの、それらも時計であるやなしや。そういうものをふくめると、いったいわが家にどれだけの時計が、あっちこっちにあるのだろうか。正確には数えたことはないけれど、かなりの数のものがある。そして、その存在すら忘れている。利用しているものとしては、茶の間の柱時計である。ところが、この時計は、十分くらいは進んでいる。そうなってから、何年たっているのかわからないが、時計というものは何であるか、考えさせられる。十分進んでいるから十分という進み具合を計算して時間をみる。これは家のものだけがわかるものであり、他人にはわからない。他人がこの時計をみて、時間を知るということは、とんでもないことになる。そんな時計に、わが家の中心的役わりをはたさせている。
 そして、私の腕時計。三十年くらい前からこの時計を腕にはめているが、一度もとまったこともなかったし、狂ったこともなかった。ところが、突然に休止してしまった。もちろん原因はわからない。こーいうこともあるんだと、思ったりしたが、息子に時計屋へ持っていったもらった。すると、この時計は、「ソーラー時計」といって、太陽の光で動くのだから問題はないとのことであった。とはいえ、とまったから大問題だろう。しかし、時計屋が問題ないということは、分解してみてくれないということだ。たしかに、動き出した。時計屋のいう通りなのかと思って、以前のように腕にはめていた。ところが、またしても動かなくなってしまった。息子のいうには、腕の奥の方にはめているから太陽の光がとどかなくて、とまってしまったのだろうという。しかし、そのようなことは今まで一度もなかったことである。私はそこで発見した。腕時計というものは、たとえ高価で高級品であったとしても、突然とまってしまうものは、もう役立たずのポンコツ時計であるということを。そんなものを腕にはめていてもどーなるものでもあるまいということである。時計というものは、とまったら時計ではないということだ。
 テレビの国会中継の予算審議会などで、議長が野党議員にかこまれて抗議を受けて、「速記をとめて下さい」とか「時間をとめて下さい」とか命令する。議長の特権である。「時計をとめて下さい」ならわかるが、「時間をとめて下さい」とは。時間をとめるのは神しかできないことだろう。たしかに、時間をとめるようにいったと聞こえたが、私のかんちがいか。時計と時間とは明らかにちがう。
 本川達雄『ゾウの時間 ネズミの時間――サイズの生物学』(中公新書、本体六八〇円)で、
 〈私たちは、ふつう、時計を使って時間を測る。あの歯車と振子の組合わさった機械が、コチコチと時を刻み出し、時は万物を平等に、非情に駆り立てていくと、私たちは考えている。〉〈時間とは、もっとも基本的な概念である。自分の時計は何にでもあてはまると、なにげなく信じ込んで暮らしてきた。〉(本書より)
 考えてみると時間を測るということで時計というものを発明した。まず、このようなことができるということと、しかも時計がとまるということで、時間がとまったようにも思えるということ。本当に時間がとまったら困るのは誰か。







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