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評者◆稲賀繁美
風雲児・金森修を改めて追悼する――金森修著、小松美彦・坂野徹・隠岐さや香編『東洋/西洋を越境する――金森修科学論翻訳集』に寄せて
No.3431 ・ 2020年01月18日




■金森修と最期に言葉を交わしたのは、科学研究費補助金審査の席だった。折から体調を崩して欠席を余儀なくされた金森は、その詫びを入れるためにわざわざ会場に現れた。痩せた顔からも病状は明らかで、当方との会話のなかでだけ「実は癌で」と打ち明けた。奥様の付き添いあってのこと、と伺った。別れしなに交わした握手の感覚が、今に掌に残っている。
 日本では極めて数少ないフランス派の科学史家、あるいは哲学的な素養に裏打ちされた科学論の旗手として名を残した金森だが、学部から大学院の頃にはパウル・クレーやサルバドール・ダリに曽我蕭白をも奇抜な視点から論ずる、才気煥発な上級生だった。バルタザール・グラシアンを論じた修辞論もあり、佐々木英昭のドゥルーズ論、四方田剛己のスウィフト論と並べて読んだ記憶がある(本書書誌「論文」番号2)。科学哲学や認識論への傾斜を深めたのはパリ第一大学でジャン=トゥッサン・ドゥザンティに師事してからではなかったか。
 大学在学中にサンケイ奨学金で1年留学経験をもつ金森とは大学院では当方が一年後輩の立場となり、同年に仏政府給費留学生に選ばれた。大学院時代の教室の合宿でなぜか突然、ふたりで階段ダッシュを競う事態となった。当時運動部現役だった当方の傍らで、久しぶりに走った金森は足が縺れて転倒した。その敵愾心、負けん気に接したのは貴重な体験だった。
 スルジーの国際会議で「生への存在」をめぐる会議が開かれた2007年、金森は今回の翻訳論文集にも収められた「下村寅太郎」論を展開した。フランス側の著名な参加者と丁々発止の議論を交わす力量において、日本側の参加者のなかでも群を抜いていたことは、いうまでもない。それでも「輪廻転生」の仏語が不意に出てこず、咄嗟に助け舟をだしたら、ずいぶんと恩義に感じてくれて、かえって恐縮した。
 そのおり城館の周囲の庭園をふたりで散策する機会に恵まれたが、それより20数年前のパリでのちょっとした行き違いのことを突然口にして、「あのときは本当に悪かった」と真顔で詫びを入れられたのには、驚いた。改めて金森という人物の男気を感じた瞬間だった。世間の無配慮な常識には決然として異を唱えながら、論理ひと筋で押しまくることはせず、意外な局面で情緒的な道徳に拘泥し、問題を迂回する。その揺らぎを内蔵した振幅も、金森らしい学風の魅力の一端ではなかったか。
 今回纏められた8篇のフランス語論文にも、その特徴は横溢する。二宮尊徳や加藤弘之、丘浅次郎と、正面から論じることが憚られる人物を、欧州の知的土壌の俎上に載せようと工面する。その反面で認識論者バシュラールに宮澤賢治をぶつけて、思わぬ地学的想像力の露呈を図る。ベルクソン論では形象への固定ゆえに認識装置が見落とす流体に、純粋持続の逆理を捉え、実験装置と合理的思考との共犯を指摘しつつも、知の物象化への一方的な断罪は避ける。そのうえで「屍寸前」の実験環境に、知性が頼るべき「痕跡」を認める。
 下村寅太郎論においても、「近代の超克」で下村の発言が空振りに終わった背景へと、犀利な探索が試みられる。ここに表明された機械に潜む魔術への関心は『ゴーレムの生命論』や『動物に魂はあるのか』へと発展する。スリジーでの会議でゴーレムを論じたアンリ・アトランとのやり取りが、帰国後に発酵を遂げた面もあったのでは、と思うのだがどうだろう。病床で脱稿し校正を終えた『人形論』(没後公刊)は、その必然の帰結だった。
 その金森と直接議論を闘わす機会はもはやない。思えば科学哲学や科学史を、最盛期のフランス現代思想と交差させうる知的環境が70年代末には健在だった。その駒場の杜の追憶も、ここに書き添えておきたい。







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