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評者◆睡蓮みどり
公私混同、大歓迎。――ルイ・ガレル監督『パリの恋人たち』
No.3424 ・ 2019年11月23日
■公私混同という言葉が好きだ。もちろん、大抵の場合はよくないニュアンスで使われる。仕事の場にプライベートを持ち込むな、きっちり分けろ、ということである。ニュースから流れてくる大抵のことには確かに腹立たしく思う。しかし映画でも同じように苛立つかというと、そうは全く思わない。自分と恋人のことをだらだらと描くことも、恋人や浮気相手、自分の子どもをキャスティングすることも、映画が面白くありさえすればそれでいい。そんなのビジネスとして甘い、おかしい、というのなら、逆に聞きたい。どうして映画がビジネスだと言い切れるのだろう。もちろんハリウッド映画のように完全にビジネスのフィールドに乗ってしまった映画製作においては、ある種の癒着のようなものがいとも簡単にパワーバランスを崩す、圧になりかねないので公私混同を避けるべきかもしれない。とはいえ、いまでも驚くほどに映画作りの在り方はケースバイケースなので、公私混同もの(そんなジャンルはもちろんないが)がなくなってしまったらやはり寂しい。
フィリップ・ガレルの作品が好きだということは本紙でも何度も書いてきたことだが、その理由はいま述べたような甘さと自意識が画面のなかでなんとも幸福な展開をしてみせるからである。先日、早稲田松竹の特集「孤高のシネアストたち」のなかでフィリップ・ガレルの映画も上映された。『救いの接吻』(89)のなかでは彼の妻で女優のブリジット・シィ、彼女との子どもである幼い日のルイ・ガレルも出演している。最近だと、『グッバイ・ゴダール!』(17)で禿頭のゴダールを演じたのが記憶に新しいルイ・ガレルだが、父フィリップ・ガレルの映画に出てからは、ベルトルッチ、クリストフ・オノレなど名監督の作品にも着々と映画出演を重ね、グザヴィエ・ドランなど若手の作品にも出演している。最初にルイ・ガレルの存在を知ったのはもちろんフィリップ・ガレルの作品であったが、おそらく一目惚れのようにしてルイ・ガレルという俳優を好きになっていたと思う。映画のなかの彼しか知らないので、役柄のせいもあるのだろうが、どこか放っておけないような、いかにもフランス人らしい甘ったるさがたまらない魅力である。 前置きが長くなったが、そんなルイ・ガレルが長編監督をつとめた『パリの恋人たち』が間もなく公開される。俳優として着実にキャリアを踏みつつも、幼い頃から画面のなかで活躍し、撮影現場を度々見てきたであろう彼が自ら監督をつとめるのは自然な流れだったのだろう。主演のアベルもつとめる彼は、少し翳りのある美少年から気だるさをまとった軟派な男へと見事な成長を遂げたわけである。「同居していた恋人マリアンヌ(レティシア・カスタ)にあっさりふられ、彼女の夫ポールが突然死したのをきっかけに再会、まだ未練があることに気づき親しくなるも、ポールの妹エヴ(リリー=ローズ・デップ)に幼い頃からの恋心を告白され彼女と関係をもつ」。こうしてあえてあらすじめいたものを書いてみるも、この映画の本質に触れるどころか、どんどん遠のいてしまいそうで恐ろしくなる。もちろん、このような恋愛やパートナーとの在り方をそっくりそのまま日本映画にするのは難しいだろう。ぐちゃぐちゃと複雑な恋愛模様のなかをふらふらと彷徨うアベルの物語の原題のタイトル「L'homme fidele」が「忠実な男」を意味するのも、ある種の皮肉と言えるかもしれない。女たちに忠実に翻弄されて生きている男。軽いと言えば軽いが、その瞬間瞬間への忠実さは決して嘘ではない。 面白いのは、この世界に恨みの念が皆無といってもいいほどにどこにも見当たらないことだろう。「二股をかけられて、しかもそれが自分の友人で、子どもができたからと捨てられて、自分は引っ越し、彼女とその浮気相手はこれまで自分が住んでいた家で暮らしている」なんて、考えただけでもぞっとする。起きたことを責め立てたり恨んだりせずに、おどろくほどあっさり受け容れる。一方のマリアンヌも過去のことを謝るわけでもなく、まだ未練があることを知って誘惑の目を向ける。あんなにアベルに恋い焦がれていたエヴも、いざ暮らし始めると、もうどうでも良くなってしまう。マリアンヌの息子ジョゼフは父親の死を「ママがパパを毒殺した」とこっそりアベルに告げるが、ホラーに転じることもなく、軽妙に距離感と関係性を変えていく。ラストシーンでジョゼフが起こす小さなアクションは見所だろう。 いかにも「パリの恋人たち」のお話として見るにはもったいないほどの、つまり恋愛ものだとか家族ものだとか括るのがもったいないほどの、ほどよい未練、フットワークの軽さ、嫉妬の刺激し合いに、ついにやにやしてしまう。アベルを惑わす恋人のマリアンヌが実生活でルイ・ガレルのパートナーだというのも、フィリップ・ガレル節を脈々と受け継いでいると喜ばざるを得ない。本人は嫌がるかもしれないけれど。 (女優・文筆家) |
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