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評者◆凪一木
その22 取り残される人々
No.3423 ・ 2019年11月16日




■参院選が終わった。全国規模の国政選として、投票率は過去最低から二番目に低い。アホかと思う。
 というのは、私の現場のような、底辺の人間が、今の生活や状況を変えたいと思っている人間こそが、選挙に最も行かなければいけないのに、誰も行きやしない。というよりも、選挙は話題にすらならない。怠惰が服を着て職場で不貞寝をしているだけだ。
 サイコパスな人間は、当然のごとく選挙には行かないのだが、それとは違って、サイコパス的に、底辺なりにねじ曲がって、選挙にも、映画にも、コンサートにも、スポーツ観戦にも行かないのである。結婚もしない。要は公共性がない。
 同じ部屋で勤務する警備員に、有名芸能人と同姓同名の男がいる。仮に清水健太郎とする。警備のシミケンは、仕事はもちろん、すべてに適当な男だ。かつて無責任男と言われた植木等や、それを引き継ぐ高田純次、所ジョージといったタイプに似ている。彼らから才能を抜いたような男だ。警備のシミケンは、過去一度も選挙に行ったことがない。「なぜ行かないのか?」と尋ねた。
 「ずっと野球漬けだったんですよ。練習に明け暮れて、映画やテレビのスターも知らずに過ごしてきましたから」「甲子園出たんですか」「まさか。だけど目指してはいましたよ」
 レベルはどうあれ、そこに賭ける青春の姿に貴賤はないであろう。
 「京橋高校という名前で、だけど場所は晴海に在りましてね。大学は東京電機大ですけど、二年で中退しました。その後に豊屋という弁当の会社に入って、そこで四番でサード、長嶋の引退の年までやりましたよ」「ノンプロですか」「いや、軟式野球。四部リーグまであるんですよ」
 やはり日本という国の野球のすそ野は広い。選挙に行く人間を、魅力や受け皿において、遥かに凌駕しカバーしている。
 「会社が傾いてね。野球部を辞めたんですよ。その後は警備員となりまして、酒とギャンブルで遊んでいました。今もですけどね」
 実は、サラ金で借金をしているところを、かなり年下でお金持ちの女性に見染められた。酒で体を壊し、がん多発の上に、糖尿病で毎日四本もインスリン注射を打ちながら、ときどき血の小便をジャブジャブ流し、倒れたりしながら、安月給で勤務し続けている。ついでに言うと、多額の保険金を妻に掛けられ、糖尿病に最も悪いコメを、弁当箱に目いっぱい詰め込まれて、無理やり食べさせられている。妻と一緒に酒を飲みにいくと、高い酒を勧められるという。「下手に安い酒よりも、良いんだ」という根拠がどこにあるのか分からぬ妻の理屈で、当人は喜んで飲んでいる。膵臓がんでもあるのに煙草を辞めない。もっと言うと妻は、その道のプロである看護師だ。皆同じ話を噂しているが、私もそう思っている。
 「野球を辞めてから選挙に行けたのではないですか?」「行かないスタイルが身に付いちゃってしまったから、もう行かないですよ。それに生活にも困ってないし」
 東京ドームの警備などをしながら、あと少しの命を、いや勤務を全うしようとしている。
 シミケンが典型的なスタイルではない。他の皆はそれぞれの理由で選挙に行かない。二〇人以上いる現場で、投票に行ったのは、資格キングの銭さんと私と、世の中と繋がっていたがっている隊長と、早稲田の大学院を出て、早稲田大学出版部でドイツ語の、それも哲学論文の翻訳をやっていた、脳梗塞を押して出てくる老人の四人だけである。今回の参院選の投票率四八・八%(総務省調べ)で低いと騒いでいるが、我が現場は二割を切っているわけだ。
 驚くべきことと言えば、彼らは、選挙前に騒ぎとなった吉本興業社長の記者会見も見ていないのだ。映画監督の大島渚は、『青春について』(読売新聞社)に、こう書いている。
 〈ほとんどすべての人が青春の時代に熱い思いで見た映画のひとつやふたつは持っている。そして、それについて何時間も語った喫茶店の記憶を持っているだろう。しかし、人々はやがて映画を見なくなる。(中略)あなた方はきっと本も読まない。受動的に、あちら側から与えられるテレビの映像を受け取る以外には、何一つこちらから能動的に摂取してゆこうとしない、まったくの知的怠惰に陥っているのだ。私は外国のことは知らない。しかし、ともかく日本では、人々は青春を過ぎるとすべてこうなってしまうのだ。〉
 本も読まず、映画も見ないからパワハラを平気でやるような愚か者になるのだ、と結論付けたいわけではない。映画を沢山観て、本を膨大に読む人であっても、人生の陰影や心の機微が分からず、相手の悲哀を感じ取ることもできず、一人の人間として「対峙」すらできない者が少なからず存在することも確かだからだ。しかし、やはり彼らの幼稚さ、愚鈍さ、卑しさ、小狡さなどには、「本を読まず映画も見ない」という人生スタイルの影響は、確実にあると考えられる。何で、選挙に行かないのか。
 最も選挙に行かない連中というものを想像したらいい。サイコパスである。或いは、投票権のないロボット。或いは責任のない子供。もっと言うと、会社員である。いや、詰まらない商店主や、詰まらない工員や、詰まらない芸人ほど、行かない。なぜか。詰まらない人間は、つながりを実感できないからだ。歌を聴かない人。映画を観ない人。スポーツに感動しない人。繋がりがなければ、選挙に参加しないし、つまりは、人生にも参加していないことになる。自慢にならない。
 ぶっ潰したいなら、選挙に行け。或いは自分が立て。もし自分が出ないなら、誰かに入れろ。運動してもいい。山本太郎でも誰でも、応援でも良い。変えたいなら誰かに託せ。国家が要らないなら、それだって提唱できる。それだって変えられる。託せるだけの迫力があるなら、勝つ。「私に力を下さい」と言っている奴がいる。それなのに投票にいかない。娯楽にうつつを抜かしているならまだいいよ。生活に追われてというのも微妙だが、それよりも、現状に流されている奴が一番ダメだ。映画も観ない、テレビしか見ないどころか、今はテレビも見ない。選挙とも、吉本興業とも、全く無縁に会社の下らなすぎるお遊びに終始している。今一番投票に行かなければいけない人たちが、最も行かない人たちなのである。
 軟式野球4部リーグのあの日あの時の事件を聞かされても、寒いだけなのである。
(建築物管理)







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