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評者◆添田馨
日本国憲法の肖像――改憲論の変容と護憲⑥
No.3423 ・ 2019年11月16日
■日本国憲法成立の原点には、大日本帝国の“敗北”があった。これは帝国が国家総動員体制で臨んだ世界戦争での敗北であった。言い換えれば、国家主権が外国によって完全に制約されるという絶対的な性格の“敗北”であった。
日本国憲法の冒頭には「上諭」なる文言が置かれており、そこにはこの憲法が帝国憲法の改正を天皇みずからが裁可して定めたものだと書かれている。だが、帝国議会でこの憲法改正の発議がなされた事実はなく、この記述は歴史の現実をまったく言い当てていない。 また、戦後になって日本は天皇主権から国民主権に変わったという言い方があるが、絶対的な“敗北”とは、そこに国家主権の断絶と移転が起きたことを言う。だから天皇主権が消滅した事実は見えても、国民に主権が移転したという事実は現行憲法の条文上に明記されているのみで、その実態は空無である。やはりこれも事実関係を正しく言い当ててはいない。なぜなら、現行憲法の真の制定権力はGHQだったからだ。 ちなみに「八月革命説」は、ポツダム宣言を受諾した一九四五年八月十四日に「法的意味における革命」(宮沢俊義)、つまり天皇から国民への主権の移動が起こったと解釈する理論だった。だが、実際に権力を握っていたのはGHQであり、この言い方も現実を一向に言い当てていない。 つまり、ここまで見てきたいずれの解釈も、どれひとつとして現実を言い当てたものはないのである。 わが国の憲法基盤のこのどうしようもない脆弱さが、実は改憲勢力につけ入る隙を与えてしまっている。だが改憲勢力に義があるかといえば、まったくそんなことはない。現行憲法がもつこうした擬制的な立て付けを、改憲勢力は殊更に否定してみせる。だが彼らが本当に否定したいのは、第二次大戦で大日本帝国が“敗北”した事実の重みとその責任なのだ。そうやって歴史を捏造し過去を消し去り、この国の新たな憲法制定権力として、国民から主権者の座を奪い取ることが目的だ。 (つづく) |
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