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評者◆凪一木
その18 小石先生
No.3419 ・ 2019年10月19日




■警備の話で寄り道をしたいわけでもない。だが、警備の友だちがやたらと増えて、付き合ってもいるから、面白い話が増えることは確かだ。しかしそれらのどのエピソードよりも、どうでもいい話しかないのに、なぜか心に残る男がいるのである。
 子供のころに『二十四の瞳』という映画を観たことがある。名作ということだが、私にはピンとこなかった。その中で主人公の大石先生を、生徒たちがからかって、「小石先生」と呼ぶ。「大」を「小」に変えただけだ。
 私が映画を観た子供の頃(昭和四〇年代)でも、そのセンスは古く感じた。昭和二九年の映画に「当時のあだ名に皮肉やユーモアを求めてもしょうがないか」とも思いながら観ていた。しかし、この令和の現代において、小石先生としか言いようがない、小石先生とでも呼びたいような、それ以外の名が浮かばない人物が目の前にいるのである。警備の小石さん(仮名)である。
 何てことのない人物である。本当にあまりにも何てことのない人間である。小さな愚痴を、言うことのできる相手(影響力の及ぶ相手ではなく、単に聴いてくれる程度の相手)に、ときどき発するだけの男だ。つまりはそれだけ毎日のように吐きだす愚痴のスピードよりも多く愚痴の元に追いかけられて生きている。いつも怒鳴られている。
 小石先生の唯一の趣味とも言えるのが、酒を飲むことだ。愚痴さえ聞いてもらえない、かなり詰まらない酒の飲み方をする。それでも身体を覚醒させる作用に頼ることで、僅かの休息を得ているのだろう。
 こういう人と一緒にいても、大抵の人は時間の無駄だと思って付き合わない。気が弱く、責任感もほとんどゼロで、頭もそれほど良くなければ、決断力もない。何より仕事をしない。勤務するだけはするのだが、その仕事内容自体は、ただそこにいるだけという状態を四〇年間繰り返している。向上心がなく、反省する気持もなく、後ろを振り返るという発想自体もなければ、先を見る力もない。見るだけの余裕がないのかと言えば、それはある。あるのにしない。怠け者と言えばそれまでだが、怖じ気づいてもいるし、チャンスや環境や人に恵まれてこなかったともいえる。
 資格も取らないし、受けても勉強しないから落ちる。女にモテない代表的な男で、誰に紹介したとしても、女なら皆、嫌がるであろう。男にしても、付き合う気になるのは、同じように気の弱く、世間の敗残者のような男でしかないであろう。私もそうだとは思いたくないのだが、なぜかこうして付き合っている。
 「なぜそんな詰まらない男と飲むのか」と問う人間はたくさんいる。そう言っている人間がそれほどに「詰まらなくない男」かというと、そういう奴の方がかなり詰まらなかったりもする。
 「結婚寸前だったんだ!」
 小石先生が「結婚寸前」と吐き捨てた、その時の過去を思い浮かべる笑顔の情けなさが、彼の人生最大のパフォーマンスではなかったか。
 昔、杉並区でビデオ屋を辞めるオヤジがいた。その男は、少々の財産家の両親の庇護のもと、事業に何度も失敗しては、次の資金を出してもらい、最後はビデオ屋に辿り着いたバカ殿だ。実は好条件で店を始めた。だが、やはり才覚がなく、怠け癖もあり、黒字なのに続けられない。バカ殿は、店を畳むにあたって、私の会社(ビデオ卸)の通称「何にも専務」と言われていた専務に騙されていた。したがって私は、たとえ情けない男であっても、少々付き合った同情もあって、それを防ごうとした。豪邸でバカ殿は、母に着せられたちゃんちゃんこを纏い、お寿司を前に、以下の情けないセリフを吐く。
 「専務さんに世話になったから、恩返しもしたいんだ」
 「お前、騙されてんだよ」と、喉まで出かかった。
 映画『その後の仁義なき戦い』で、神戸の巨大組織幹部に騙され続けて、急に「手を組もう」と言われる北九州の人情派親分がいる。
 「今までずっと、憎んで、憎んで、やっと分かりあえるようになったんだ」
 次のシーンで消される人情派。アイヌが、シャモに、酒宴のあと殺されるのと同じだ。
 満面の笑みで、次に何が起こるのかも分かっていない鈍くて、馬鹿で、それでいて憎めない、天下泰平なおめでたさ。
 小石先生もまた、そうだ。
 女性と付き合った経験自体が彼から想像するに信じられない。「結婚」という言葉等、驚きを超える。実はこうだ。もう二〇年も前の話だ。巣鴨のスナックに勤める一五歳年下のホステスに入れ上げる。横浜の石川町から通っている女性だ。週に一度、店に寄っていた小石先生は、外で会うことになる。
 昔、『サタデー・ナイト・フィーバー』という映画について、小林信彦が、錦糸町のお兄ちゃんが新宿に出掛けるような男と評していたが、ブルックリンとマンハッタンを対比した構図に、いま読むとあまりもマッチしていて、これが小石先生に至っては、赤羽と巣鴨界隈を行ったり来たりしながらたまに池袋に行く人生というのが、まさにそのものである。小石先生は、そこで恋に落ちたのだ。実際は騙された。
 実話を基にしたNHKの再現ドラマ「詐欺の子」で、オレオレ詐欺の被害に遭った桃井かおりは、「あの人にお金を渡したんだ。騙されてなんかいない」と信じている。
 小石先生も、騙されたなどとはこれっぽっちも思っていない。
 「結婚まであと少しだったんだ」
 一度だけ、彼女と寝たという。
 「俺もやることだけはやってんだよ。イヒヒ」
 濁り酒をあおって気持ちの悪い笑顔をこちらに向けてきたあの時の小石先生の生温かい感触は、今でも鈍痛のように残っている。
 「東京に出てきて、一緒に住もうかな」
 小石先生と一緒に住むのに少々のお金が必要と言われ、渡す。一週間後に店に行くと、ママからこう言われた。「先週辞めたわよ」。
 「いや、いろいろ事情があったんだよ」(ないよ)
 小石先生は積極的に悪を働くわけではない。不真面目でもない。とはいえ、人生に対する取り組み方が、迫力のなさが、人間の付き合いに対する大雑把な捉え方が、日常の真剣さの不足が、不真面目ではないのか。やんちゃな経験も不良突っ張りの履歴もないのに、チンピラ風味で、浅草か上野のアメ横ぐらいでしか見ないような、どこに行けば買えるのか? といった代物を着ている風情もいまいちである。
 小石先生の情けなさを語っていると、必ずや自分に跳ね返ってくるので嫌になる。
 小石のように。
(建築物管理)







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