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評者◆添田馨
日本国憲法の肖像――改憲論の変容と護憲③
No.3411 ・ 2019年08月10日
■加藤典洋『9条入門』を読んで、私は複雑な気分に陥った。というのは「入門」というそのタイトルに反して、それが9条を“卒業”するための入門書だったからである。
これまで所謂“9条問題”は、軍事力を有する実力組織たる自衛隊の存在と、憲法条文記述との明白すぎる矛盾というかたちで顕在化してきた。本書は、それが戦後占領期のいかなる検討をへて条文化されるに至ったのかを、憲法制定過程の裏の裏にまで立ち入って明らかにしようと試みる。加藤の憲法論の、文字通り総仕上げの一環であることを強く印象づける内容だ。 “八月十五日に戻れ”という痛切な声がここには残響している。平和主義も憲法9条もまだ生まれていなかった時点に立ち戻り、安全保障(9条)の問題を自分たちの手で、それもゼロから考えなくてはならぬという抗しがたい声だ。加藤の思想の底板がまさにここにある。この声に従うなら、そもそも護憲という立場はあり得ず、現行憲法の改正(改憲)という現実的な選択肢のみが永久に残り続けることになる。 具体的に加藤の構想は、憲法規範と国連憲章規範との矛盾なき架橋という一点に絞り込まれていく。此処に至って9条を“卒業”することの意味は、自衛隊と不戦条項および国連憲章の三者が相互にリンクしあう姿として、加藤のなかで初めて鮮明な像を結び始めるのだ。 だが同時にその一方で、憲法前文が体現したあの「崇高な理想と目的」がそこで一挙に色褪せていくような思いに私は捕らわれる。国連憲章によっても肩代わりできない、日本国憲法に固有の特別なスピリチャリティといったものが、途方もなく失われてしまうという強烈な感懐が襲うのである。 わが国の憲法が、膨大な数の死者を生んだ戦争災害の傷口をガーゼで覆うように与えられた〈異神の衣〉であったのもまた、打ち消しようのない事実なのだ。そうであるなら、ここを唯一の足場とするすべての思想を、私は護憲の名で呼びたい。 (つづく) |
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