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評者◆秋竜山
ウンコは正直である、の巻
No.3407 ・ 2019年07月13日




■江戸時代の糞尿と、時代が変わったばかりの令和の糞尿と、くらべてみてどちらがいいか。臭さにおいては、江戸時代のものはあまり臭くないと思う。なぜならば、あまりうまい物を食べてないからだ。今の糞尿は息ができないほど臭い。それは、うまい物ばかり食べているから、糞尿に変化した時、当然の結果である。ウンコは正直である。江戸時代は汲み取り式のトイレであった。今、汲み取り式のトイレにしゃがみたくてもムリだろう。日本中が水洗トイレとなってしまった。その被害をもろにこうむったのはクソ蠅であった(なつかしい、あのウジ虫も姿を消してしまった)。汲み取り式のトイレの、ポッタンという音も聞くこともなくなってしまった。なじみのあった人にとっては、哀しさをきんじえない。糞尿を、即座に水で流してしまう淋しさは、やはりなじみのあった人にとっては哀しみ以外の何ものでもないだろう。糞尿の命も水と共に去りぬである。
 水戸計『教科書には載っていない 江戸の大誤解』(彩図社、本体六三〇円)。江戸時代には、糞尿が農作物の良質な肥料となった。糞尿が畑の農作物の肥料となることがわかった時、農作物に初めて糞尿をかけた人の気持はいかなるものであったか。その勇気ある行動がすごいと思う。
 〈そんな貴重品の糞尿は、有料で取引されていた〉(本書より)
 江戸時代になって、ウンコでお金をもらえるようになり、江戸の人はお金ほしさにウンコをどんどんとってお金めあてにしようとしたとしても、食べて始めてウンコになるのであるから、そうは簡単に願いはかなえられなかったはずである。
 〈江戸の糞尿は現在の足立区や葛飾区、埼玉県南部などの農村が船を利用して汲み取りにきていた。だが、近隣の農村で激しい奪い合いが起きたことで、江戸市中の糞尿が枯渇。需要に供給が追いつかなくなり、糞尿が高騰する。これに悲鳴を上げた近隣農民は、値下げ運動を起こした。最初に起きたのは寛政元(1789)年で、武蔵、下総の農村が「糞尿代が3~4倍になって高騰している。価格を下げるお触れを出してくれ」と幕府へ請願した。しかし、町奉行は「それは幕府が口を出す問題ではない」と相手にしない。そこで農村側は「交渉に応じないと、30日間汲み取りにいかないぞ」と“糞尿ストライキ”をちらつかせた。そこで困ってしまうと、結局、多くの長屋が値下げ交渉に応じたようだ。〉(本書より)
 このようなことを知ると、今の時代、何てもったいないことをしているものだと痛感させられてしまう。「自分のウンコがお金になる」、こんなうれしいことってあるだろうか。糞尿がお金にはならないが、農作物の肥料としていたのは昭和三十年代前半、あたりまえであった。その当時は農業において必需品であった。私の家でも汲み取り式トイレの中には貴重品としておさまっていた(本当はそーでもなかったようだけど)。糞尿に変わって化学肥料が出回ったからである。肥おけで天秤棒で畑へ運ぶのは親父の仕事というか役目であった。あの頃の糞尿は自分の家のもの(家族のもの)は、手でさわってもきたないと思ったことがなかった。少年の頃、私もそう思った。ところが、その後水洗トイレになると同時に自分の家のウンコにきたなさを感じ、さわるなどできるものではなくなった。それがなぜだか不思議であった。それに、水洗トイレの自分のウンコはどこへ流れていってしまうのか、見とどけない無責任さを感じさせられるのである。







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