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評者◆凪一木
その5 ぼくの好きなオジサン
No.3406 ・ 2019年07月06日




■とても好きな同僚が会社を辞めた。追われるようにして辞めた。私以外の人にとって、彼は不評だった。
 「仕事のできない人」などというレッテルは、たいていは、単に「その仕事が」できない人にすぎない。その仕事以外なら「できる」。
 ビル管になる前の彼は、印刷屋の社長だった。調子に乗って話しだすと、話が大きくなるので、私以外の同僚は彼のことをウソつきだとも言った。社長時代に、電通通りで飲んでいると、必ず電通の連中につかまって、行列となって酒をおごっていたという話は、さすがにどこまでが本当か、分からないところがある。しかし、毎年、クリエーターの人たちを引き連れて伊豆の温泉に一泊旅行させ、ドンチャン騒ぎしていた話などは、明らかにリアルで事実だけが持つ迫力があり、本当だと私は感じている。
 それよりも、「電通さん」の本領は、話が面白いばかりでなく、人間関係を豊かに円滑にするところがあるのである。だが、今のビル管の世界は、電通さんを許容する力がない。
 RCサクセションに『ぼくの好きな先生』という曲がある。作詞は忌野清志郎で、実は高校時代にモデルの美術教師がいた。職員室が嫌いで、美術準備室でいつも一人でたばこを吸っていた。
 ♪タバコを吸いながら、劣等生のこのぼくに素敵な話をしてくれた
 清志郎の母は、息子がバンドに狂っていて、将来に不安を抱く。それに対するその先生の答えは、こうだった。
 「どうせ大学に行っても四年遊ぶんだから、四年は好きにさせてあげましょう」。
 こんな先生が、あのRCを産んだ原動力のひとつであったことだけは間違いない。
 かつて、ビル管理という世界は、定年間際でも雇ってもらえ、かつ重宝すらされる「夢のマッタリ職場」とも言われた。ほかの世界では、競争社会に巻き込まれ、かつ揉まれて、ギスギスと意地悪やパワハラが横行する中で、給料の低いことを除けば、比較的やる気のない者や年寄りに対しても優しく、受け入れてくれる世界であった。
 ビル管以外の多くの仕事の世界は、まず実力者がいる。それを目指して、あの手この手で、口先の、実力とはまた別の「ゴマすり」や「おべんちゃら」など独特のコミュニケーション能力でもって、居場所を確保するタイプがいる。
 一方で、会話ができない、伝達能力の低い職人タイプの人間がいて、それはそれでその「手」の方の実力を競いあい、上下関係の運動クラブ的な師弟関係での「あうん」の世界があった。「口を動かしている暇があったら、手を動かせ」という世界である。
 ビル管理は、そのどちらでもなく、職人ほどの技術や専門性は求められず、また一方で、器用なコミュニケーション能力がなくとも勤まる世界であった。
 「口」も「手」もいらないのであった。
 プロ野球のパ・リーグには指名打者という制度がある。本来なら引退かもしくはせいぜい代打ぐらいでしか使われなかったはずの選手が、現役生活晩年を、門田博光や山本和範、松中信彦のように場所を得て過ごすことが、また活躍すらできた。セ・リーグ(中日)からパ・リーグ(楽天)に移った山崎武司などはDHで本塁打王に輝く。
 ビルメンテナンスもまた、隠れた場所で、目立つことなく、しかし、年長者が嫌がられも疎まれもせずに、長期(定年以降も)働くことのできる場所だった。
 「職人タイプの(口のダメな)人で、かつ職人ではない(手もダメな)人」が働くことのできる場所であった。だが、いつからか、そうではなくなった。
 二〇歳代からビル管をやっている珍しい還暦の同僚がいる。高校卒業後に、初めは吉野家の工場で勤めて、退職後に、ビル管理に就くのである。そして、その合間に実は、彼曰く「芸能活動」をし始めた。役者のエキストラから始まって、配役に辿り着くようになる。
 確かに精悍で、綺麗な顔をしている。ウエストは常に七三に保っている。始めた年から数えると、八社ほど渡り歩いているが、「ビル管通算」三〇年以上になる。彼曰く、ここ一〇数年、完全にビル管業界は変化したという。かつてなら年配者はいつまでたっても引く手あまたで歓迎されていた。だが、少しずつ、その雰囲気は消えてきた、という。要は、若い人たちも就職難により、参入してきたことで、年配者が押し出される格好になってきたのだ。
 私は、この業界はまだ五年で計三度の就職活動のため、以前の状態も、また変化も体感できてはいない。だが、言われてみると、この五年でさえそう思える。そして、明らかに変わったことは、その若い人たちの、高齢者への冷酷な態度や威圧ぶりが、電通さんを苦しめるような結果を導いている。
 映画監督の山田洋次は、中学時代に闇屋のようなアルバイトをしていた。その往復の列車の中で、陽気で面白い冗談をいう仕事仲間がいた。冗談男はしかし、仕事においては力もなければ計算もできず、からっきし仕事のできない落ちこぼれであった。にもかかわらず、その行き帰りの過酷で疲れ切った時間を、一服の清涼剤か、身の危険を忘れさせる的確な表現で笑いを取って、山田少年も含めて、絶対的に必要な存在であった。この男こそ、のちの国民的映画『男はつらいよ』シリーズの寅さんの原型とも言えた。
 電通さんもまた、冗談男の役割を果たしていた。職場の寅さんだった。少なくとも私にとっては、そうである。しかし、この時代は寅さんを必要としないのか。或いは彼の存在の大きさが見えないのか。重要性に気付く力がないのか。見過ごされ、見捨てられ、もったいないことに、電通さんは彼らの目の前を通り過ぎていった。
 一九四六年の放送開始以来、七〇年以上続いているNHK「のど自慢」という長寿番組がある。だが、一時マンネリ化し、応募の出場者も会場のお客さんも激減した。理由は単に歌の上手さだけを競いあい、技術勝負の舞台と化したからだった。これを救ったのが、「熱演賞」の創設である。さらに、面白エピソードを引き出すインタビューの導入だった。これにより一気に人気回復し、今に至る。
 人は、上手さや実力だけを見たいわけではない。もっと、ホッとさせるもの、気楽にできる雰囲気、和ませてくれるものを必要としている。
 私は今も、退社した電通さんと付き合っている。
(建築物管理)







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