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評者◆睡蓮みどり
清々しい傑作――ラース・フォン・トリアー監督『ハウス・ジャック・ビルト』、ミカエル・アース監督『サマーフィーリング』
No.3405 ・ 2019年06月29日




■先日、フランクフルトで開催された「ニッポンコネクション」という映画祭に、出演作『新宿タイガー』がノミネートされたので、監督や出演者たちと行ってきた。とてもアットホームな感じの映画祭で、映画上映だけでなく、日本文化を体験できる催しがたくさんあった。すでに夏の気候で、非常に暑かったのもあるが、参加者の方々と交流することができ楽しく飲んで毎日のように二日酔いだった。ホワイトアスパラが旬の時期でアップルワインの肴にするのが最高の気分にしてくれた。ぜひまた行きたい。

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 実を言うと、ラース・フォン・トリアー監督の作品にはずっと苦手意識を持ってきた。後味の悪さは天下一品だが、作り手としてのネチネチとした底意地の悪さが、どうしても受け入れられなかった。とはいえ、毎度作品が公開されるたびに気になってしまうのはどうしようもない事実で、今回も観る前から気になって仕方がなかった。最新作『ハウス・ジャック・ビルト』は、はっきり言ってものすごい傑作だ。これまでトリアー作品が好きではないと言い続けてきたので、認めてしまうのが悔しいが、認めざるを得ない。
 そもそも悪意があるわけではないのに、巻き込まれて殺人を犯す、身を捧げる、思わぬところで悪意が露呈する、そういったこれまでの作品に登場する人物たちとはまた違い、今回の主人公ジャック(マット・ディロン)は根っからの殺人鬼だ。建築家になるという夢を、屈折しながらも忠実に追い求めている真面目な人間。ユマ・サーマン演じる無礼な女性を車に乗せて、殺してしまったことが引き金となり、どんどん殺人を重ねていく。シリアル・キラーのジャックにとって、罪悪感なるものは存在しない。そしてタイトル通り、死体で家を建てていくのである。文字にしてみてもかなりぶっ飛んでいるが、本編はもっとぶっ飛んでいるのである。取り憑かれたようにせっせと殺人を重ねていく姿は滑稽で、その度重なる残虐シーンは、見て
いて徐々に麻痺してくる。カンヌ国際映画祭では、途中退出者が続出したらしいが、最後のシーンに至るまで抜かりなく作り込まれた、このいい意味での変態性をとことん見届けてほしい。本当に清々しい。
 『アンダー・ザ・シルバーレイク』でとびきり可愛いヒロインを演じたエルヴィス・プレスリーの孫のライリー・キーオが、唯一ジャックが心を惹かれた女性として出演している。美女が思いっきり泣き叫ぶシーンというのはやはりいい。今作でも非常に魅力的であった。ちなみにジャックは彼女のことを「シンプル」と呼んでいるが、愛情と見下す気持ちの入り混じった鬱屈した感情の表れだろう。ジャックは頭のいいハンサムな男だが、殺人の衝動を起こすときは子どもじみている。そしてとても楽しそうである。笑う練習をするところなど愛嬌さえある。今年2月に亡くなったばかりのブルーノ・ガンツも、ジャックを地獄へと導く重要な役どころで出演しているので、ぜひ途中退出せずに見て欲しい。これまで散々大嫌いだと思っていたが、私はラース・フォン・トリアーが好きなのかもしれない。うーん。認めたくはないけれど。

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 昨年の東京国際映画祭でグランプリと脚本賞を受賞した『アマンダと僕』(現在公開中)のミカエル・アース監督の『サマーフィーリング』は、これもまたなんとも言い難い傑作だ。映画祭で『アマンダと僕』を観たときは、柔らかながらも何度もきゅっと引き締められる完成度の高さに驚かされた。姉を亡くした弟と、姉の娘という残された者同士が確かな温度を持って生きていこうとする姿には胸を打たれた。だが、正直にいうと『サマーフィーリング』の方が個人的にはもっと好きだと思った。ある日突然、ローレンス(アンデルシュ・ダニエルセン・リー)は恋人のサーシャを失う。思いもよらない突然の死は、彼に深い喪失感を与える。同じ悲しみを持つ、サーシャとよく似た妹のゾエ(ジュディット・シュムラ)と、その家族とも交流を続けていく。
 ローレンスは映画のなかでその喪失感から立ち直るために何か特別なことをするわけではなく、ただ日々を生きている。ベルリン、パリ、ニューヨーク、と場所を変えながら。過ぎてゆく時、時間が、画面にまるで一瞬一瞬を愛おしむように刻み込まれ、映し出されている。瞬きをするのも惜しいほど、というのはこの映画のためにあるのかもしれない。そんなふうに感じさせるほどに、一瞬一瞬が非常に大切に思えてくるのだ。ローレンスやゾエ、サーシャの両親が抱えた喪失感は確かにものすごく深いことが何度も垣間見えるも、そのことに直接に触れるわけではない。そのせいか全体的には寂しさが漂っているのに、質の高い青春映画のような爽やかさと煌めきがある。そして登場人物たちがそれぞれ惜しみなくどこまでも優しい。ゾエの笑顔は特に深く印象に残った。いまはもういない大切な恋人のことを思い出しながらも、回想シーンなどは一切登場せずに、ひたすら時間の経過とともに物語が進んでいく。劇的ではないこの日常の物語には、いろんなものが映りこんでいる。それは自然に映ってしまったとしか言いようのない、夏の光や、一瞬の目の潤みや、ふと訪れた喪失感や、誰かを大切に思う気持ちだったりする。『アマンダと僕』でも狙って写しだそうとするあざとさや作為性などとは一切無縁だった。何が映っているのか、もう一度大画面で観たいと素直に思った。
(女優・文筆家)







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