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評者◆睡蓮みどり
平成最後の……――ブルース・スピーゲル監督『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』、井上淳一監督『誰がために憲法はある』、今泉力哉監督『愛がなんだ』
No.3398 ・ 2019年05月04日




■毎年「花粉が昨年の○倍になりました」というニュースが流れるように、毎回、選挙があるたびに投票率が下がっているように感じてしまう。自分と自分が生きる少しの周りのことで手一杯で、他は遠い世界のお話だと感じる人たちはおそらくどの年代にもいるのだろうけど、角田光代原作の『愛がなんだ』(全国公開中)に出てくる主人公のOLテルコ(岸井ゆきの)も、テルコが何を差し置いても愛するマモちゃん(成田陵)も、おそらくは選挙に行かないだろう。
 好きな男のためなら会社を休んでクビになることも怖くないし、風邪を引いたと連絡がきてパシリのように都合よく扱われても、その現実よりもマモちゃんに呼び出されたことにぬか喜びする。相手が自分のことを好きにならないこともどこかでわかっている。それなのにまた一瞬期待して浮かれて三歩進むと出口の見えない穴の底に落ちている。その繰り返し。一度でも近い経験があれば思い出したくないことを思い出し、胸がきっとチクチクと痛む。恋愛をすると小さな可能性にすがる思いで賭けたくなるものだ。
 結局マモちゃんのことしか頭にないテルコにも、思いつきで喋るばかりで、罪悪感のないままに他人を振り回してしまうマモちゃんにも、テルコにははっきり意見するも自分も都合のいいように男を振り回す友人の葉子にも、結局、葉子のいいなりになっているだけのナカハラにも、ちょっとずつ苛つき、この誰とも友達にはなりたくないと思う。テルコと同じように、片思い中の葉子にいいようにされているナカハラを演じた若葉竜也の絶妙な弱々しさや、それでもしかし葉子を強く思っていることが伝わってくる演技が特に光って印象に残った。これまで、今泉力哉監督はもどかしくもすれ違う恋愛模様を描き続けてきた。登場人物たちは強がったりカッコつけたりもしないし、ある意味でものすごく自然体でいられる。これが最近っぽい感じなのかも、と平成最後の連載で今さら思ってみた。
*   *
 先月、またまた紀伊國屋ホールで行われた松元ヒロさんのライヴに行ってきた。一度観てからすっかりファンになってしまっている。日本では嫌われがちでタブー視までされている政治をネタにすることも惜しみなく、ユーモアが溢れる。ヒロさんが原案の『憲法くん』(講談社)は、擬人化された「憲法くん」が読者に語りかけてくるという絵本で、小さな子どもにも伝わるような優しい語り口で記されている。時々ライヴでヒロさんが読み上げる日本国憲法の前文は美しい。背筋が伸びる思いだ。『誰がために憲法はある』のなかでは、女優の渡辺美佐子さんが憲法くんとなり、私たちに語りかけてくる。また、少女時代の淡い初恋の記憶と、戦争が引き起こした悲しい現実という渡辺さんの体験がドキュメンタリーで描かれ、憲法くんとリンクしてくる。
 スリランカで大規模なテロが起こった。キリストの復活祭の日で狙われたのは教会だけでなく、外国人も多く宿泊する高級ホテルも含まれていた。もはや遠いどこかの国の出来事ではなくなっているヒリヒリとした実感が生まれる。これまでも安倍政権下で民意と無関係に推し進められてきた政策が数多くある。そんな安倍政権がトップである以上、二〇二〇年に憲法改正をすべく進んでいる現実には嫌でも直面するだろう。戦争が近づいてくることへ警鐘を鳴らす映画は作られてきたものの、井上淳一監督がいうように「届く人にしか届かな」かった。
 二度と戦争を引き起こさないためにという願いを込めて出来上がった「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」という三つの理想。「現実に合わないから憲法改正をしたい」という人たちへの疑問として、憲法くんは「理想と現実が違っていたら、普通は、現実を理想に近づけるように、努力するものではありませんか」と嘆く。戦争の傷跡が癒えることがないことを知っているはずなのに、時に知らんふりをする。経験した世代と、していない世代では確かに大きく違う実感があるかもしれない。しかし、戦争は過去のものではなく今も現実に起きている。憲法という武器を持つ国の闘い方を問われているのはいうまでもない。井上監督の切実な願いが込められているこの作品を、ぜひ観て欲しい。
*   *
 零れ落ちてくる一つ一つの涙の音のようにも聞こえてくる、悲しみと夜の暗闇を纏った音。ビル・エヴァンスの奏でるピアノからはそういう、息苦しさが生み出す快楽を感じる。決して開放的ではないし、朝のコーヒーや晴れの日のお散歩には似合わない。ぴっちりと分けられた髪にメガネ、長身の男が猫背でのめり込むようにピアノを弾く姿が印象的なビル・エヴァンスの演奏は、ジャズファンでなくとも、おそらくどこかで耳にしているだろう。歌い手の場合は顕著かもしれないが、当然、楽器も奏でる人によって全く違う。
 『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』はビル・エヴァンスともトリオを組んだ世界的ジャズドラマー、ポール・モチアンへのインタビューがきっかけとなり、撮ることになった。ブルース・スピーゲル監督は八年という歳月を本作の製作に費やしたという。
 本人の映像はもちろん、彼の人生で関わりを持った多くの人たちの証言を得ながら、五一歳という長くはない人生でどう音楽と向き合い、生きてきたのかを紐解いていく。周囲の誰からも才能を認められるも本人はそう思っていない。それは謙虚さではなく、飽くなき探究心からくるものだろう。クスリに溺れ、「自殺するために生きてきた」とさえいわれる彼には、別れを歎いて線路に身を投げた恋人、交通事故で若くして亡くなったバンド仲間のベーシストのスコット・ラファロ、統合失調症を患い自らの頭を撃ち抜いた兄と、最も近しい人々が自身の元を去っていく恐怖と、死が身近に存在する妙な安堵感とがつきまとっていたように感じられる。
 本作ではマイルス・デイヴィスの名盤『カインド・オブ・ブルー』の裏側を垣間見ることをはじめ、エヴァンスが残した功績の大きさを改めて認識するだろう。それにしてもなんだろう、この音は。音を聞く、というよりも、音に包まれる安心感と同時に感情の崩壊が起こりそうな震えが湧き上がってくる。
(女優・文筆家)







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