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評者◆睡蓮みどり
静かで震えるような怒りと強さ――イザベル・コイシェ監督『マイ・ブックショップ』、片山慎三監督『岬の兄妹』、バリー・ジェンキンス監督『ビール・ストリートの恋人たち』
No.3390 ・ 2019年03月09日




■アメリカ、ハリウッドの現地時間2月24日に第91回アカデミー賞が発表された。日本でも昨年10月に公開を迎え大ヒットを記録し、現在も上映が続いている『ボヘミアン・ラプソティ』が主演男優賞・編集賞・録音賞・音響編集賞の4冠で最多受賞。イギリスのロックバンド「クイーン」の結成と、ボーカルとなったフレディ・マーキュリーの半生を描いた本作は、「クイーン」に何の興味も抱かずに生きてきた私のような者にとっても、わかりやすく感情移入しやすい構成なのだが、個人的にはバンドのことを描いた映画ならイーストウッドの『ジャージー・ボーイズ』の方が、楽曲の好みも相まって断然好きだ。本年度の作品賞は『グリーン・ブック』に決定。今回、ヒロインの母親役で助演女優賞に輝いたレジーナ・キングが出演する『ビール・ストリートの恋人たち』は、2017年に『ラ・ラ・ランド』を抜いて『ムーンライト』でアカデミー賞作品賞を受賞したのが記憶に新しいバリー・ジェンキンスが監督を務める。
 不当な理由で捕まってしまった一人の男とその恋人。運命的に惹かれあった幼馴染の19歳のティッシュ(キキ・レイン)、22歳のファニー(ステファン・ジェームス)。結婚するつもりの二人だが、なかなか借りられる家が見つからなかった。好条件とは言えないがようやく新居が見つかり喜ぶ二人。ビール・ストリートはミシシッピ川近く、ブルースやソウルにあふれた街だ。同日、ちょっとしたことで白人警官のプライドを傷つけたことから、ファニーは犯してもいない強姦罪に問われ、捕まってしまう。若手弁護士とともに闘うが希望は薄く、被害者と名乗る女性は心を閉ざしていて罪が晴らされる見込みは薄い。二人の間に芽生えた小さな命と、ファニーを支え闘いながらも身重になっていくティッシュ。乗り越えていくとは一体何だろう。彼らは諦めず、必死だ。もう努力の問題じゃない。前を見ていても解決できない。努力だとか乗り越えるなどという言葉が急に薄っぺらに聞こえる。理不尽さを真正面から描いた作品だ。
 『マイ・ブックショップ』のヒロイン、フローレンス・グリーンもまた、とても辛い状況に置かれている。観ているものは思うだろう。どうして彼女がそんな酷い仕打ちを受けなければならないのか、と。戦争で亡くした夫との夢だった「書店を開くこと」。そんなささやかな夢さえ、街の権力者と名乗る保守的な人々のちょっとした悪意で踏みにじられる。それは大きな悪意ではない。フローレンスを憎んでいるわけでも恨みがあるわけではない。1959年のイギリスの小さな港町において、新しい風を吹かせる必要などどこにもない、自分以上に目立つ人間は必要もない、というどうしようもない意地と発想だ。引きこもりで読書家の老人と、店の手伝いをするおませな少女は彼女の味方であり、よき理解者ではあるが、街の権力者と闘うにはあまりにも弱い。主演のエミリー・モーティマーが素晴らしく、自然な笑顔の柔らかさや、ふと見せる意志の強さが魅力的だ。彼女はあくまで自分がこれまで大切にしてきたものを打ち砕かれずに生きようとしているのだ。勇気があり、思いやりがあって、芯に強さのある素晴らしい女性だが、何に心を打たれるかというともっともっと秘めた力強さにある。書店は煌びやかではないが、とても贅沢な時間が流れる。本に囲まれて生きるのが好きな人間にはたまらない空間だろう。本作でイザベル・コイシェ監督は『あなたになら言える秘密のこと』以来、二度目のゴヤ賞を受賞。本年度必見の一本だ。
 目を伏せたくなるほどの過酷な状況、足に障害を持つ兄・良夫(松浦祐也)と自閉症を抱える妹・真理子(和田光沙)の物語『岬の兄妹』は、びっくりするくらい骨の太い日本映画だ。変な例えかもしれないが、お腹が痛くなるのなんか気にせずに、いま目の前にある腐りかけのおにぎりを胃袋の中に詰め込まなきゃ、という焦りにも似たような妙な神経の高ぶり。神経に響く不協和音。音とあいまったタイトルの入り方からして攻めに攻めてくる。すれすれのところで生きている圧力。主演二人もそうだし、ポン・ジュノ監督他、多くの助監督の経験を経てポケットマネーでつくったという、片山慎三監督は間違いなくこの作品でさらに評価されることだろう。精神に障害を抱える主人公を題材にした作品は映画に限らず多くあるが、彼らが「罪を犯す」というタブーを描
くものは少数派だ。本作はタブーにタブーを重ねていく。他方で、最後までこの二人の愛情があくまで兄妹愛として貫かれるところには妙にホッとしていることに気づいて驚かされる。精神的なピュアさとかではなく、生活の過酷さと勢い、あるいは突然コメディタッチになる良夫の妄想シーンなど、神経に揺さぶりをかけてくる。善悪なんて二の次。最初のシーンからラストに向けて加速し、また繰り返される終わりなき悪夢は続く。
 差別、マイノリティ、弱さ、それに立ち向かう勇気? あるいは乗り越える力? 理不尽にも組み込まれてしまった環境の中で、生きている人間の静かで震えるような怒りと強さを感じる。関わりたくない、見て見ぬフリ、自分のことで精一杯で結局何もすることのできない人々。浮き彫りになってくるのは彼らの弱さではなくその周りの人々の脆弱さであったりする。安定した世界に身を浸っている方がずっと楽なのだ。信じる気持ちを持ち続けている二人の恋人は美しい。秘めてきた夢や居場所を奪われても、本当に大切なものを奪われずに去ってゆく彼女は美しい。たとえ犯罪に手を染めようと、生きるための底力を見せた兄妹を誰も止めることはできない。彼らの一切を、否定することなどとてもできない。
(女優・文筆家)







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