書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆睡蓮みどり
赦すことの難しさ――『家へ帰ろう』パブロ・ソラルス監督インタビュー
No.3380 ・ 2018年12月22日




■「今のドイツは変わった」「個人的には恥じている」。これは文化人類学者のドイツ人女性が劇中に語る言葉だ。でも、それに主人公アブラハム(ミゲル・アンヘル・ソラ)は納得していないように見える。アブラハムにとっては赦すことは不可能に近い。誰を赦せばいいのかもわからない。アブラハムの世代、つまり監督の祖父母の世代ということになるが、彼らには「ナチス」と「ドイツ人」、「ファシスト」と「ポーランド人」の区別がつかない。「ヒトラーを許して」とは当然言えないが、「ドイツ人を許して」と言ったところで、彼らにはファシストと区
別がつかないというのだ。しかし「祖父母が言うことは理解はできるが、当時まだ生まれていなかった世代を憎しみ続けるのは罪だと思う。共感はできない」と監督自身は語る。
 ブエノスアイレスに暮らすユダヤ人の仕立て屋のアブラハムは、老人施設に行く日の前日、家族や孫たちと一緒に過ごしていたが、浮かない顔をしている。その日の深夜、アブラハムは一着のスーツを手にポーランド行きを決意する。第二次世界大戦中、ホロコーストから逃れたアブラハムを助けてくれたかつての恩人との約束を果たすためだった。彼は年月を経ても、何としてでも「ドイツ」「ポーランド」という言葉を使いたくない。それゆえにアブラハムは頑なな面もあり、手を差し伸べようとする人々の優しさをなかなか素直に受け入れることができない。
 ドイツの駅のホームで、どうしても地面に足をつけたくないアブラハムに一人の女性が手を差し伸べる。彼女はドイツ人の文化人類学者で、事情を知った彼女はホームに自分の服を並べ、アブラハムにその上を歩くよう促す。彼女には彼を助けたいという気持ちしかない。口もききたくないはずのドイツ人である彼女を信頼し、孫や娘にも言わなかった内なる物語を彼女に話し始める。とても印象的なシーンだ。パブロ・ソラルス監督は、このシーンを書いた瞬間に、この映画の完成を確信したという。
 子どもの頃から「禁じられた言葉」として監督のなかに「ポーランド」という言葉はあった。両親とは話し合うこともできたが、祖父は全く話してくれなかった。ある日、監督がカフェでお茶をしている時に思いがけない会話を耳にする。かつてナチスから逃れようとした時に自分を匿ってくれた恩人と父親が長い年月を経て再会したというのだ。もうお互いに生きているかどうかもわからない状況だったが、再びの出会いを果たした。この話を聞いた監督は思わず涙を流したそうだ。カフェで聞いた話は「偶然」ではない。いつもは満席のカフェで、その日は彼らだけが話していた。新聞を読むふりをして後ろに座っていた監督はその話を聞いた瞬間に、もう脚本を書き始めていたという。「脚本を書くというのは感情を揺さぶることが大切。自分自身がエモーショナルにならないといい脚本は書けない」監督は、禁じられた言葉を紐解き、この物語を紡いでいくことにしたのだ。
 撮影に入る一年前に一度、そのあとも三回ほどプリプロダクションの段階でポーランドへ行き、以前祖父が住んでいたアパートも見つけることができた。そして自分自身もポーランドの市民権を得て、アルゼンチンとポーランドの二重の国籍を持つことになる。映画撮影のためということももちろんあったが、償いのような気持ちもあったのだ
そうだ。「ホロコーストで生き残れなかった人もいるが、そういう人たちが自分に語りかけて、意識を仕向けてくれたのかもしれない」。
 ユダヤ人は人種を指す言葉ではなく、宗教・血統のつながりから成る民族集団だ。音楽を始め芸術や文化が人々を結びつける。監督自身は信仰が強いわけではないが、ユダヤ人として文化を大切にしていきたいと語る。舞台俳優、演出家として活躍してきたが、映画学校にも通い、一番情熱をかけてきたのは映画を作るということ。影響を受けたのは、バーグマン、カサヴェテス、ウディ・アレン、クロサワ、そしてアルゼンチンのルクレシア・マルテル。映画とはイリュージョンのようなもので、それを作り人々の心を動かすことが自分の仕事だと言う。
 心を動かすという言葉はシンプルだが簡単なことではない。私はすぐ感動してすぐ泣いてしまう方で、映画を見ると感情が乱されてしまい、なかなか忙しいのだが、深く感動し胸に残り続ける作品と出会うことは貴重な体験で、そう多く巡り合えるわけではない。ちなみに、八八歳のアブラハムを演じたミゲル・アンヘル・ソラさんは、撮影当時六五歳。毎回二時間かけて老人に見えるよう特殊メークをしたとのことだが、とてもナチュラルで驚いた。アブラハムという人物は、目的に一直線に向かって「矢のように」突き進んでいく。彼は頑なで言葉数も多くない。しかしその沈黙と頑固さのなかに、胸に刻まれた深い傷と、深い愛情が浮かび上がってくるのである。彼の情熱はしかし、過去と向き合うからこそ生まれてきたものだ。赦すということは、何よりも難しい感情なのかもしれない。
(女優・文筆家)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約