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評者◆稲賀繁美
ゾラとセザンヌ――「すれちがった巨匠」の交友をめぐる解釈のパラダイム・シフトにむけて
No.3380 ・ 2018年12月22日




■ゾラといえば自然主義を確立した文豪。セザンヌといえば近代絵画最大の巨匠。その両者は南仏エクスで幼馴染み。だが小説家が1886年に発表した画家小説『作品(制作)』Oeuvreが原因で両者は決裂した──。ダニエル・トンプソン監督の映画(2016)もこの通説に沿ったもの。だがその制作途上で、「決裂」以降に画家が文人に宛てた書簡が発見される。書簡編者のジョン・リヴォルドが唱えた「決裂」説(1936)は、今や事実誤認の神話へと転落した。筆者は1987年にオルセー美術館初代館長フラソワーズ・カシャンのご配慮で父君、シャルル・カシャンに面会したことがある。話題がリヴォルドに及ぶと、「あのコチコチの実証主義者には必要な想像力が欠けていた」との言葉が、老医師の口から洩れたことを思い出した。
 Denis Coutagneは、『作品』で主人公の画家クロード・ランティエを自殺に追い込むことにより、ゾラは実在のセザンヌを破滅から救ったが、ゾラ自身も小説中の画家に裏切られた、という独自の修辞を披露した。良い線を行っているとは思うのだが、いくつか疑念が残る。
 永井隆則も確認したように、たしかにゾラは初期の美術評論で、官展派の繕った「仕上げ」finiを痛烈に攻撃した。だが言語作品たる小説は、綿密な構想と丹念な取材、辛抱強い執筆と彫琢によって「仕上げ」なければ、「作品」完成は覚束くまい。「未完成」inachevementとはセザンヌとも交友ある批評家のG.ジュフロワが、印象派の先輩格、マネの「欠点」を擁護すべく動員した言葉だったはず。
 セザンヌの語る「実現」realisationもまた、完成状態の謂ではない。「実現」とは体言ならぬ用言、一筆一筆の筆致が生成する動的な過程。ゾラをもじるなら、「制作」とは真実に向かう絶え間なき「歩み」en marche以外ではありえない。だが永遠の「未完成」、達成不可能性を保持することは、「セザンヌ以降」の「絵画制作」には可能でも、ゾラが「完遂」したような「文学作品」には、元より不可能な営みだったのでは? ゾラ「愛読者」セザンヌは、そこに自分とは対極の「気質」temperamentを賞賛したのでは? あるいは、画家が抑圧に「失敗」しがちな欲動を、作家は「見事」に制御した?
 晩年ローマを訪れたゾラは、システィナ礼拝堂でミケランジェロの天井画に遭遇し、そこに藝術的達成の模範を見出す。とすればゾラにとって結局セザンヌが「流産」avorteに終わった天才、と記述される他なかったのも、当然ではなかったか? 高橋愛は慧眼にもこの「流産」の意味を問うたが、それに応えたクターニュは、画家の名声確立が作家没後にまで「遅延」した「事実」を持ち出した。でもこれって問題のすり替え、結果論じゃない? 寺田寅彦はゾラ没後の顕彰事業を検証し、こうした記憶操作の政治的術策の「現場」を暴露した。
 Jean Arrouyeは幼年期の水浴の追想とラテン語古典詩世界への憧憬が「遅延」して晩年の水浴図連作に昇華された経緯を説き、浅野春男はメダンのゾラの肖像写真が《カード遊びをする人々》中央の人物に変貌した可能性を提案する。Alain Pagesはメダンのゾラの奇形の館がセザンヌの画面に置換して再構成された可能性を図示し、吉田典子はセザンヌのNouvelle OlympiaがマネのNanaのロビダによる戯画を転用した可能性を提示した。ナナの頭上に左右山形に配されたフキダシの文章が、セザンヌの作品では裸女の頭上を左右に分けて飾る垂れ幕へと変貌する。
 「綿密な構想と取材」が意識の底に沈殿し、しばし寝かされた末、「想像力」のお蔭で「見事」な変身を遂げる。そこに多くの論者たちはセザンヌの「実現」の実相、ゾラも賞賛を惜しまなかった「詩的構想力」のありかを探り当てたようだ。

※国際シンポジウム「セザンヌとゾラの創造的関係を再考する」(京都工藝繊維大学、12月2日)に取材した。報告論文集は、早々にポール・セザンヌ協会のサイトに掲載予定とのこと。またゾラ=セザンヌ『往復書簡集』は吉田典子・高橋愛訳で法政大学出版局より近刊予定。







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