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評者◆稲賀繁美
楽の音、詩の韻が伝える生命の息吹――東洋的養生と西洋近代の療法との〈あいだ〉
No.3379 ・ 2018年12月15日




■ハンス=ゲオルグ・ガーダマーはハイデルベルクで迎えた百歳の誕生日の祝典で一服の講話をなした。西洋哲学は孔子を見習い音楽の典礼を極めねばならぬ。それが談話の骨子だった。音楽は文化にいかなる貢献をなし、洋の東西の隔たりにいかに架橋するのだろうか。光平有希の博士論文に基づく著作『「いやし」としての音楽――江戸期・明治期の日本音楽療法思想史』(臨川書店)は、この問題に新鮮な光をあてる。西洋音楽では「リズム・メロディー・ハーモニー」が三要素とされる。リズムは生命現象の根源であり地球の自転と月による潮汐がそれを司る。山崎正和の『リズムの哲学ノート』や樋口桂子の『日本人のリズム感』などが最近の成果だろう。メロディーは記憶に深く関わり、幼少に暗唱した楽曲が耳朶に甦る。ハーモニーは集団的な一体感を醸し出す。修道院でミサ曲を合唱し、仏教寺院に籠って僧侶に交じり読経すると、脳内では安定したα波の発生が検出される。こうした要素の統合からなる声楽や器楽が、精神面を含めた療法上、特異な効能を発揮することは、いまさら贅言を要すまい。
 天心・岡倉覚三は西洋のシンフォニーに感動し、オペラに開眼して英文遺作のリブレット「白狐」を残した。同時代のラフカディオ・ハーンこと、帰化して小泉八雲となった作家は、西洋人には珍しく三味線の音に快感を催した。八雲は秋になれば虫の音に耳傾ける稀有な人格だった。西田幾多郎も適切に述べるとおり、八雲にとって虫の音は先祖の声を聴く体験に通じていた。その八雲が「耳なし芳一」を残したのも偶然ではあるまい。盲目の琵琶法師は盲目ゆえに不可視の霊を呼び寄せる霊力を備えていたが、それゆえに霊に憑依される事態を招く。西欧の楽器でもヴァイオリンなどを弾けば、奏者の肉体や頭脳までが共振・共鳴することを体験できる。覚三が『茶の本』にひく伯牙の「琴ならし」の故事でも、道士は琴の材料となった桐の古木の霊と交わり、無我の境地のうちに一体となって過去を再生する。ハモニカに合わせて遠吠えする飼犬は、コヨーテや狼だった太古を想起しているのだろう。
 音声の反復は詩や歌の韻に通じる。折口信夫や九鬼周造といった幻視・幻聴者は、韻律の再帰のうちに過去の甦りをまざまざと実感した。折口の「斜聴」説、九鬼の「永劫回帰」はここに淵源を発する。それは別言すれば憑依現象でもあり、歌舞音曲や和歌の唱和は、先祖の霊との交歓でもあれば、降霊術にも接近する。近代日本の音楽療法の祖、呉秀三の甥に『ドグラ・マグラ』の作者・夢野久作があるのも偶然ではあるまい。太古の記憶の隔世遺伝は楽曲を媒体に営まれる。また近代洋楽の祖、伊沢修二は、手話の導入者でもあった。聾唖という障害こそが音楽への接近と表裏をなす。伊沢は目賀田種太郎とともに音楽取調掛の創設を建言するが、その近傍に『音楽利害』(1892)の著者、神津仙三郎の姿も見えてくる。
 音楽療法の病跡学に先鞭をつけた神津は和漢洋の学識を兼備したが、「心気」への注目が同時代欧米の学術との差異を際立たせる。さらに遡れば貝原益軒の『養生訓』に至るが、「養生」とは元来「生命を養う」の意。西洋医学では治癒や療養に重きを置き、和語の「いやし」も現在ではその影響下にある。だが中国医学では未病段階での「養生」に基軸を据える。「養生」から「治療」へ。そのparadigme shiftはいかなる断絶と移行だったのか。「気」の概念はニューサイエンスばやりを経て、西欧ではとかく忌避されてきた。だが近年、気功やヨガは欧米でも隆盛をみる。「気」とは呼気であり、ヘブライ語のルーアハ、ギリシア語のプネウマであり、そこに西方キリスト教は三位一体の精霊の宿りを記す。宗教学や哲学、民俗学や人類学の応援をも得て、東西の「気」の「ゆらぎ」、微妙な周波数の違いが惹起する「うねり」に注目することが、今後の文化を跨ぐ音楽療法transcultural musical therapyの実践的課題となろう。身体や楽器という「うつわ」を介して「うつろう」音曲の息吹である。

*光平有希著『「いやし」としての音楽――江戸期・明治期の日本音楽療法思想史』(臨川書店、2018年9月30日刊)を囲む書評会(11月15日、国際日本文化研究センター)に取材した。







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