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評者◆中村隆之
巧みな結構をとっている「玄冬小説」――若干の違和感がないわけではない
おらおらでひとりいぐも
若竹千佐子
No.3365 ・ 2018年09月01日




■「玄冬小説」と言うらしい。人生の晩年を〈冬〉に喩えて老後の生を題材とする小説の呼称だ。2017年下半期第158回芥川賞を受賞した本作はこの呼称とともに版元から売り出された。孤独な老女を主人公にした本作は、受賞後24日目にして50万7千部(102刷)が発売されるという異例の話題作となった。
 主人公の「桃子さん」は、ビルの林立する合間から高速道路が見える郊外の住宅地の一角に暮らしている。70歳を越しているが、体はいまだに丈夫で、満員電車に一人で乗ることもできる。街中のどこかでいつすれ違っていてもおかしくない、どこにでもいそうな桃子さんは40年来の家にいまは独居している。「亭主」に先立たれ、二人の子供も成人して親元を離れて暮らしているからだ。
 桃子さんは東北出身であり、より限定すれば、作者の生まれ育った岩手県出身だと推測される。東京オリンピックの年に家を出て東京にやってきた桃子さんは大衆割烹の店でアルバイトをする。あるとき、その店に客として入ってきたのが桃子さんの「亭主」となる周造だった。
 桃子さんが周造に気を止めたのは「おらは、おらは」というその話し方だった。桃子さんもかつては自分を「おら」と言っていた。「東北弁」が桃子さんの母語であり、性差の関係ないこの一人称を用いると素の自分を示すことができた。しかし小学一年生のときに初めて「標準語」の「わたし」を発声したときから、「おら」に劣等感を抱き、「わたし」に憧れを抱くようになる。「わたし」と言うには「喉に魚の骨がひっかかったような違和感」があったが、それでも上京してからというもの「標準語」で思考するようになる。周造との出会いから「東北弁に素直になれた」桃子さんはやがて周造と所帯をもち、「周造の理想の女になる」ことを目指して生きることになる。
 子が独り立ちをして二人で暮らすようになってからのことだ。ある日、桃子さんの生きる目的であった周造が「心筋梗塞であっけなくこの世を去った」。桃子さん50歳代後半のころである。
 この突然の死を契機に桃子さんの人生は一変する。死んだ周造に会いたいと思う。目に見えない世界の存在を信じるようになる。何にでも意味を探し、科学的なものを信じる性格だった彼女の劇的な変化だ。桃子さんは自分が知っていることなど「全部薄っぺらなもの」であることに気づく。気づいたら心中の呟きは東北弁になっていた。「もう今までの自分では信用できない。おらの思って見ながった世界がある。そござ、行ってみって。おら、いぐも。おらおらで、ひとりいぐも」。
 そしてこのときから桃子さんの心中には周造の声をはじめ様々な声が聞こえるようになる。桃子さんの心中は別世界に通じてしまったのだ。彼女の孤独を支えるようにして心中の様々な声が話しかけ、草木も雲も話しかける。「何如だっていい。もはや何如だっていい。もう迷わない。この世の流儀はおらがつぐる」。
 以上が本作の中核的なストーリー、より正確には、全5章からなる本作の4章分の途中までで示されるあらすじである。さらにここに母娘関係のテーマが絡み、母から娘へと「伝染る」ものがあることを三世代の母娘関係のなかで示すなど、作中では幾つものサブテーマが複線として用意され、結末に向かって集束するという巧みな結構をとっている。
 私事にわたるが、実は本作を大東文化大学外国語学部の2018年度前期専門演習で取りあげた。履修者は10名で、当人たちの発案で各章をペアになって担当し、プレゼンを行った。たとえば第三章を担当したCとNのペアは、桃子さんの感情の起伏を波線グラフで示し、彼女の内部に住みつく「柔毛突起」と形容される声の種類をパターン化してみせるなど、筆者には思いも寄らない見事なアプローチで分析してくれた。
 そのような理由から本作は個人的な思い出と結びつく作品となるのだが、若干の違和感が実はないわけでもない。本作がもっとも焦点化する主題は老後の孤独であり、その孤独や来たるべき死にたいしてどのような態度をもって臨むか、ということだと筆者は解している。しかし、自らの死の先の未来を、血縁でつながった家族の再生産のなかに見出してしまうとき、危険な叙情を感じてしまうのは筆者だけだろうか。素朴な生活感情からはたしかに理解できるが、若竹千佐子が示す、人々の生死の繰り返しのなかで見出される「つながっただいじな命」は、21世紀的な家族関係のなかでは、血縁的なつながりのみに閉じられる必要はないだろう。「感動」を誘うだけに危険である。
 もうひとつ付け加えるなら、宮澤賢治の「永訣の朝」の一文を踏まえた(これも学生に教えてもらった)その表題は「標準語」にたいする言語的異質性をストレートに呼び起こすが、実際の文体は、たとえば崎山多美の試みと比べれば分かるように、それほど実験的ではない。若竹の多重化する混淆的ニホンゴは場面ごとに使い分けられて安定感があり、日本語を食い破るような言語意識で書かれたわけではない。暴走しがちな桃子さんの独り語りには狂気が宿るだけに惜しい。
(フランス文学)







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