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評者◆稲賀繁美
中世叙事詩の東西比較からみえてくるもの――十字軍遠征と源平合戦との対比より
No.3341 ・ 2018年03月03日




■古フランス語の叙事詩として知られる『ローランの歌』を嘗て佐藤輝夫(1899‐1994)は『平家物語』と比較した。十字軍の遠征に取材した前者には、シャルマーニュの危機に際してローランが雄叫びを揚げる場面がある。そこでDeus即ち神もご照覧あれという信仰の文言が発せられるが、それを佐藤は「あわれ」と訳している(Benoit Grevinと黒岩卓による報告)。この箇所はローランの戦死に先立つ一節であり、浄瑠璃愛好者でもあった佐藤の脳裏には、平家物語から謡曲へと謡い継がれた「敦盛最後」の場面などが去来したものらしい。「あはれ」とはpitieないしmisericordiaに近い。そうした哀れみはたしかにキリスト教にも根差す。だが同じ悲劇とはいえ、敗者の滅亡を悼む『平家物語』が短調ならば、キリスト教の栄光と異教徒撲滅を高らかに謳う『ローランの歌』には、詩句を見る限り長調の趣きがある。
 一神教の唯一神が翻訳で「あはれ」という詠嘆に置き換わる。これはいわば解釈における脱構築deconstructionの典型といってよい。なぜなら世界の根拠たる「神」が抹消されているのだから。ここに西欧と極東の両端における文化的落差を端的に示す指標をみいだす誘惑は抑えがたい。思えばこれは遠藤周作が『沈黙』で呈した問いでもあった。なぜ神の沈黙に信者たちは底知れぬ畏怖を覚えるのか? なぜ日本という土地ではキリストの教えは不毛な底なし沼に埋没してゆくのか──。先立つ発表でPhilippe Bucは、西欧と日本の中世における戦争処理の比較に際立った手腕を見せた。宗教的な対立を背景とした紛争にあって、西欧ではヤン・フス派への弾圧や聖バルテルミーの殺戮のように、しばしば大量虐殺が発生した。だが、日本で類例を探してみても、法然や日蓮の法難ですら、責任者の流罪程度で案件の解決が図られる場合が多い。両者の著しい違いの背景には、なにが介在するのか。
 殺戮の拡大を阻んだ要因。そこには敗者の怨霊の祟りへの恐怖があろう。だがそれならば信長による比叡山焼き討ちや長島一向一揆への苛斂な誅殺はどうなのか。なぜひとり信長だけが、怨霊の祟りをも恐れぬ所業を犯し得たのか──。それがビュック教授の疑問だった。
 もとより平家末期と戦国末期を同列に置くのは論外だろう。だが、信長の残虐さと、彼がイベリア出身の耶蘇教パードレを厚遇した事実とは、はたして無関係だったのだろうか? 事実、キリスト教の巡礼布教にあっては、洗礼以前に世を去った祖霊は救われるのか、という懸念が各地で持ち上がる。個人の救済を優先するキリスト教倫理に対して、中国儒教の礼にせよ日本仏教の供養にせよ、祖先への配慮を欠けば、著しい狼藉沙汰となる。江上温教授も指摘したように、入信希望者のこうした質問にいかに対処すべきかを列挙した聖職者教本が天草版で刷られている。同様の祖先救済問題は、布教初期のイングランドやスペイン支配下の米大陸でも発生した。Alban Gautierの指摘を受け、布教の比較文化史を提唱したい。
 信長に戻るならば、この天下統一の覇者の鬼神をも恐れぬ酷薄さは、一神教徒にも見紛うものだ。顧みれば秀吉の「朝鮮出兵」から大阪の陣、天草の乱まで、戦国末期の日本には、十字軍的熱狂が異常な高揚を呈した。鉄砲など輸入火器の発達やその桁外れな量産も看過できまい。それはおよそ応仁の乱と同日ではない。応仁の乱は当事者も不本意な悶着から失火同然の事態を招き、京都を焼け野原にして膠着に陥ったのだから。そして宗教戦争に世界正義の実現を見る過激思想は、時代を超え、北一輝、大川周明らを糾合した1920年代の猶存社の創立宣言に、異常肥大を遂げて反復される。「国家は倫理的制度なりと云ひしマルチン・ルーテルの理想は、今や日本民族の国家に於いて実現されんとする」。この信念が朝鮮出兵の焼き直しともいうべき、満洲への植民地拡張を正当化する思想的根拠となった。
 『ローランの歌』の十字軍的正義感と、『平家物語』や謡曲「敦盛」、「忠度」に披歴される哀感と。その両者の対話からは、新たな間倫理生成への詩的課題が炙り出されてくる。

※国際シンポジウム「中世における文化交流──対話から文化の生成へ」(2017年11月17‐19日、大和文華館)に取材した。Menestrel日本代表部の田邊めぐみ先生に謝意を表す。







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