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評者◆杉本真維子
何屋でもなく
No.3339 ・ 2018年02月17日




■転居先のマンションの向かいに、駄菓子屋がある。テラスに出て外を見ると、その駄菓子屋が真向かいの位置にくるので、その駄菓子屋のことを思わない日は一日もない、という生活になった。
 がらがら、とひらく木枠のガラス戸のむこうは、薄暗くて見えない。たばこの自動販売機が並び、店先に木製の古いベンチ、その横に小さな赤いポストが立っている。「年賀はがき販売中」という幟が強風ではためいている。一見、何屋なのかわからない。クリーニング屋にも、文房具屋にも、米屋にも見える。果物屋にだって、見ようと思えば見える。何屋にも見えるということは、何屋でもない、ということなのかもしれない。親戚の家に行くような気楽さで、私はガラス戸を引き、店内に入ってゆけた。
「こんなものしかなくてね……」
 おばあさんがひとり出てきて、申し訳なさそうに言った。
「いつ店を閉めてもいいんだけどねえ」とも言った。そのあとで「子どもたちが来るからねえ」とつぶやいて、言葉は消えた。
 店内を見渡すと、あまり商品はなく、おばあさんが立っているあたりのテーブルに、30円くらいの飴やガム、チョコレート、イカ味のお菓子などが置いてあった。大人の私が買うのはずうずうしい気がしたが、最初に手にとった、アタリクジつきのお菓子を2つ買ってみたくなり、台の上に置いた。
「お金はいらないですよ」
 おばあさんは意外なことを言うのだ。お金をとらないということは、やはりここは何屋でもない、もしかしたら、店でさえないのではないか。
 小さく驚きの声をもらし、たぶん私はただぼうっと、立っていた。すでにおばあさんはカッターを取り出して、慣れた手つきでクジの部分をかりかりと剥き始めていた。それを何も言わずに、まだぼうっと立って、見ていた。むかし、親がやることを突っ立って見ていた子どもの自分が、いまの自分というパッケージを剥がされて、むきだしになるような、心もとなさを覚えていると、
「あら残念、ハズレー」
 おばあさんは楽しそうに言った。さっきとは考えられないような、明るく、おどけた声で。もしかして、この瞬間の楽しみのためにだけ、お店を開けている? ほとんど確信のように、そう思った。
 次は当たりがでますよ、と励まされ、家に帰った。ハズレが出て残念そうな顔をする子ども。アタリが出てぱっと笑顔になる子ども。毎日毎日、その瞬間に立ち会えるなんて、たしかに、お金には換えられないよろこびかもしれない。私は、見ず知らずのおばあさんの生きる糧のようなものを見た気がして、少し動揺していた。よそ者がひとり、あるいは、子どものふりをした大人がひとり、地元の子どもとおばあさんだけの領域に踏み込み、その心を勝手に覗き見たような、後ろめたさも残った。
 駄菓子屋に行ったのは、その一回きりで、いまはテラスや室内から、店の様子を眺めている。日が傾いて、下校時刻になると、子どもたちがわっと店先に群がり、ぞろぞろと中へ入っていく。ベンチ周辺が賑やかになり、でも、たった一時間ほどで、店はまたしんとした佇まいに戻る。何屋でもなく、何を売っているわけでもない場所の2階は、住居になっていて、夜になると、あの窓のむこうでひとりで眠っているのかな、と勝手に思いを巡らせる。そして明日の夕刻になれば、ここからは見えないガラス戸のむこうで、おばあさんは、クジの結果に飛びあがったり、手を叩いたりして、子どもたちとすごしている。そう想像すること。この世には想像するだけでいい、ということが、きっとある。







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