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評者◆稲賀繁美
虫の音も草の底なる夜長かな――内と外から見た文明体としての徳川・日本
No.3330 ・ 2017年12月09日




■題名に掲げたのは、九幸こと杉田玄白晩年の俳句。草場の蔭からは、すでに亡き友人たちの声が、虫の音と変じて耳朶に響く。この句を末尾(176頁)に引いた「あて名のない手紙」と題されたエッセイは、芳賀徹の近著『文明としての徳川日本』(2017)に収められている。本書は250年にわたる幕藩体制の世にPax Tokugawanaの名称を授けた著者による、徳川文化史の鳥瞰。鎖国による太平の世のうねりを、内と外からの視線の交錯と落差のうちに浮き彫りにする。
 玄白が江戸で初めてオランダ商館長一行を定宿の長崎屋に訪れ、瀉血治療の現場に立ち会ったのは、明和6(=1769)年と推定される。その思い出が『蘭学事始』として刊行されたのは、ほぼ半世紀後の文化12(=1815)年こと。他方、その玄白宛ての「あて名のない手紙」を論じた芳賀論文の初出は1969年9月号の『諸君!』。大学紛争で騒然とした当時の世相も想起されるが、それから今や半世紀近い歳月を閲している。源内の回想と、それを論じた芳賀の試論と。これら両者は、ほぼ正確に2世紀の時空を跨いで、並行した軌跡を描いている。それぞれの半世紀の歳月の厚みが襞をなし、玄白の姿が著者の姿に重なってゆく。
 「その初めを顧み思ふに、昔、翁が輩二三人、ふとこの[蘭学医の]業に志を興しせしことなるが、はや五十年近し。今頃かくまでに至るべしとはつゆ思はざりしに……」そう、玄白は回顧する。玄白が「太平の余化より出しところ」と回想するその蘭学も、大学紛争の頃には「進歩派」学者たちからは「幕藩制補強の道具」に過ぎぬ、などという批判を蒙っていたという(163頁)。
 だが芳賀の筆に掛かると、歴史学者なら一片の史料として片づけ、国文学者なら文学作品として取り上げることも稀な回想から、時代の息吹が生き生きと噴き上げてくる。『蘭学事始』では、蘭学に追い風が吹き始める「不思議とも妙とも」言うほかない世相の変化が、「何となく」という形容で語られる。この捉え難く曖昧な言葉は、時代の曖昧さを極めて鋭利に捉えていた。その様が、回想を読む我々へも鮮やかに伝わってくる。
 わずかな風のそよぎに観応する皮膚感覚が、玄白から粒立ち、改めて励起される。片々たる俳句や詩の断片に、時代の風向きが感知される。蕪村の句「凧きのふの空のありどころ」は、芳賀徹もまた自著の随想集の題名に採った文句だった。あるいは中村草田男経由の読みだったかとも推測されるが、古を今に繋ぐ秘法が、詩の吟唱のうちに顕現する。蘭学勃興期の江戸の空模様が、2世紀後の大学紛争期の世相下に追体験された。
 「徳川の平和」の終焉を、著者は自称「夜明け前」史観への反措定として、敢えて「開国と維新への暗転」と逆説を捻った表現に託してみせる。だがその転換への胎動は、舶来解剖書の「和解」を企てて「艪舵なき舟の大海に乗り出だせしが如」き不安と焦燥に苛まれた、杉田玄白や前野良沢の精神に、すでに胚胎して久しかった。彼らを視野に収めた壮大な比較文化史構想は「非西欧世界の「西欧化」運動「夷荻の国への冒険者たち」」と題する芳賀の試論(亀井俊介編『現代比較文学の展望』研究社、1972年刊所収)の裡に、早くも提起されていた。
*芳賀徹『文明としての徳川日本 1603‐1853年』(筑摩書房、2017年9月7日刊)







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