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評者◆吉田文憲
「大きな力」はそこへ帰る者を受け入れ、拒絶する――土地が持つ治癒の力と、禁忌の場所を渡ってゆく危うさを象徴する「獅子渡り鼻」(小野正嗣『群像』)
No.3093 ・ 2013年01月12日




 小野正嗣の「獅子渡り鼻」(『群像』)が深く印象に残った。雑誌目次タイトルの横に、この小説の内容を紹介するように「その海辺の小さな集落で、少年は生き直す。哀しみを包む大きな力に導かれて――」とある。海辺の集落とは、少年の母の故郷である。母はその故郷を嫌い、出て行った。尊という、十歳になる主人公の少年は、夏休みを過ごすために、縁戚のミツコさんに連れられて母の故郷へやってくる。そこで尊は、文治という、先祖の男の声を聞く。その姿を風景のいたるところに見る。尊には、言葉をしゃべれない兄がいるが、文治もまた知的障害で、かつて十二、三歳の頃、弟の毅と一緒に獅子渡り鼻という岬で、行方不明になっている。この小説では、毅と文治、尊と兄の姿が、時空を超えてたえず重なり合いながら動いている。毅も文治もすでに死んでいるのだが、尊を通して、あるいは兄のことをたえず気遣っている尊のやさしい想いや祈りを通して、その集落しか知らずに死んだものの土地の記憶が、その目にした風景のなかに、深く息づいている。尊という少年は、その夭折した死者たちと土地の、さらにはこの土地を離れた母との、どこか巫女的な媒介者のようである。
 小説の終わり近くに、こんな箇所がある。《尊には自分がここにいないような不思議な感じがした。いや、尊はここにいる。いるのだけれど、ここは誰かの思い出のなかだという気がした》。この場所から、母が子をあやす「よーいよい」というやさしく穏やかな声が、日の光よりもまだ高く深いところから聞こえてきて、尊を心地よく包み込み、どこかへ運んでいこうとする。一方で、その誰かは、そういう力強く大きなものに満たされている尊に「気づいていない」。のみならず、そこからはなにかしら「憎しみのような」声も聞こえる。その声に「尊の心」は、こちらから呼びかけながらも激しく拒絶されたように感じる。
 ここに、この小説の深い穴、語り難い空白の核心があるのではなかろうか。
 母と故郷、そして死者。それはいつでも「ものを書くこと」の根源に横たわる原理的テーマ、あるいは「空白」というべきかもしれない。そこは、そこへ帰ってきたものを受け入れる場所でありながら、拒絶する場所でもある。そこに帰ってきたとき、人は自分が誰かの夢の中にいる、誰かの思い出の中にいる、と感じる。だがこの「私」を包み込む「大きな力」は、同時にまた「私」を風景と同一化し、不在化する力でもある。この「大きな力」の「導く」場所は、だからまた悪夢のような禁忌の場所でもあるのだ。「獅子渡り鼻」という小説のタイトルは、こういう土地の治癒の力と禁忌の場所を渡ってゆく危うさを象徴しているのではなかろうか。いずれにしても、今月随一の秀作である。
 『新潮』新人賞の二作にふれてみたい。受賞作の中では、高尾長良の「肉骨茶」に圧倒的な力を感じた。摂食にたいする嫌悪、強迫観念を、かくも徹底したカロリー消費と筋肉運動のスピード感あるドタバタ劇に仕立てあげた作品を目にしたことがない。主人公の女性の名前は「古事記」から採られた、赤猪子。これは「古事記」人代篇に出てくる少女にして老女。けれど、この小説で、赤猪子が、腹を膨らませて長々と「遠吼えの音」を轟かせる場面をしばしば目撃すると、これは「古事記」の解釈に反して、赤い猪、あるいは赤子と猪の合体したキマイラ的な別種の動物のようにも思われた。砂が体内の毒素を吸い取ってしまう「砂浴」によって死にかけたところを赤猪子によって救出される砂人間の鉱一も含めて、摂食にしろ、過食にしろ、それを極端なところまで押し進めていけば、人はグロテスクななにものかに変身してしまう。こういう場所では時間は均質に流れない。赤猪子には、そういう残酷で「荒ぶるもの」、吠え叫ぶ野生の力を感じた。十九歳という年齢を考えると、恐るべき才能だ。
 もう一つの受賞作、門脇大祐「黙って喰え」は、物語の遅さ、緩さに最初いらいらしたが、主人公の男が飲食店で洗い場のバイトをするあたりから、急に面白くなった。けれどいまどきの大学生の生活はこんなもんだろうな、というこちらの予想を裏切るような出来事はここには描かれていない。物語のこの遅さ、緩さを、これだけの長さとして持続したところを評価すべきだろうか。
 新連載として始まった、梯久美子「島尾ミホ伝 『死の棘』の謎」(『新潮』)を興味深く読んだ。梯が明らかにしているのは、島尾ミホが、亡くなる直前まで、「自分の『死の棘』を構想していた。〓書かれた女〓のまま人生を終えることを拒否しようとした」ということである。二〇〇七年三月のミホの死後、著者は、ミホの評伝を書きたいと思って奄美の島尾家を訪れ、そこで数十箇の段ボール箱から、《「死の棘」の妻の場合》とタイトル書きされた四〇〇字詰め二十二枚の未完の原稿を発見する。夫の情事の日記を見たときの激情は「半世紀をへてなお、ミホの中に生々しく存在していたのだ」と梯は記す。
 加計呂麻島のノロの家系に生まれたミホの生い立ちや、なによりも『海辺の生と死』『祭り裏』という魅力的な文章の書き手でもある人の、どんな姿が、梯の手によって描かれることになるのだろうか。無垢で激しい愛ゆえに狂気に至った聖女のような女性として描き出された『死の棘』のミホ像の、どんな神話剥しが、ここに描き出されるのだろうか。
(詩人)







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