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評者◆吉田文憲
奇妙な感触を残す魅力的な作品群──瞬間が瞬間のままに、百年、千年という時間が流れ去る「mundus」(川上弘美、『新潮』)
No.3084 ・ 2012年11月03日




 今月は、奇妙な感触を残す、魅力的な作品が多かった。奇妙な、とは、どう考えても、それを一義的に解釈することはできない、解釈不可能な、あるいは解釈からこぼれ落ちる、それが書かれて在るもの、テクストの魅力、豊かさであるような作品、ということだ。言葉が意味でありながら原理的にいつも意味から溢れ出している以上、それは、当然といえば当然のことなのだが、すると書かれたものは散文というより、はるかに「詩」に近づいてくる。
 たとえば、川上弘美「mundus」(『新潮』)がそうであり、海猫沢めろん「モネと冥王星」(『群像』)がそうであり、北野道夫「関東平野」(『文學界』)がそうである。
 川上作品を読みながら、かつての名篇「運命の恋人」を思い出した。「運命の恋人」は《恋人が桜の木のうろに住み着いてしまった》と書き出される。森のように深い庭の樹齢百年ほどの桜の木の空洞に住みついてしまった男は、夜行性になり、指の間に水掻ができたり、さらに全身が毛でおおわれるようになり、その生態がどんどん変化してゆく。そうして五年たち、十年たち、「わたし」は恋人でない男と結婚し、子どもが三人でき、子どもに子どもができ、やがて子孫が千人を超える。それでも恋人は相変わらず木のうろに住んでいて、以前と同じように会社勤めをしている。一種の浦島現象とでもいおうか。こちら側では緩やかにしか時間が流れないのに、かなたではあっというまに五年、十年、百年、千年という時間が流れてゆく。それがいまここで、隣り合わせで、同時進行している。これがいま我々の生きているこの時代の時間の感触ではないか。「mundus」から感じたことも、そのような着地点のないリアルな感触だった。この作品は、
《/箱はブリキ製だった。裏庭に埋めるのだとそれは言ったが、入れるものを持って来いと言われても、いったい何を選べばいいのか子供は困った。
 結局子供は、へその緒を入れることにした》と書き出されている。
 「運命の恋人」の「うろ」に当たるものが、ここでは「箱」になっている。つまりそれは「うつ‐ほ」、物語の構造だ、ともいえようか。「mundus」とは、ラテン語で、「世界」とか「宇宙」という意味らしいのだが、むろん、それが「箱」であっても「うろ」であってもいい。この作品では冒頭の「それ」が何であるかは最後までわからない。物語は「/(スラッシュ)」で区切られ、つながり、つながりながら、切れている。「/」が25個あるので、ちょうど『遠野物語』みたいに25の挿話から成り立っているともいえるかもしれないが、その「/(区切り、断絶)」の間にここでは十年の、百年の歳月が流れていてもいい。瞬間が瞬間のままに、百年、千年の流れ去ったいまここである。「mundus」は、そういう重層的な時間を浮上させ、その時間のなかに人の姿や営み、この世界のあらゆる生成、現象が、エピソードとして無限に折り畳まれてゆく。3・11を持ち出すまでもないかもしれないが、この出来事をもしかしたら一つのキッカケとして、いまそういう時間が可視的に浮上しているのだ。それは「いまここ」のなまなましい他界の風景だといえるかもしれない。
 海猫沢作品でも、母が娘、中学生、主人公のモネに手渡す黄色い小箱が出てくる。モネがそれをそっと開けてみると、中には臍の緒が入っている。この中には冥王星からの隕石が入っていてもいい。このブラックボックスの中をUFOが飛んでいてもいい。ともあれ、その箱には宇宙からやってきたいのちの核が入っている。モネは、それがもし漢字だったら、萌音だろうか、百音も悪くない、喪寝は、ちょっと、そんなことを空想する場面がある。これは絵描きだった、死んだ父が付けてくれた名前で、当然あの「睡蓮」の絵の画家を連想させる。この母娘は瀬戸内海のある島に住んでいるのだが、その島には有名な建築家の手になる「地下美術館」があり、その螺旋状の通路を降りてゆくと、そこには「睡蓮」の絵が掛かっている。モネは子どもの頃から毎日のようにこの絵を見ていた。
 この「地下美術館」はあの黄色い小箱でもあるのだろう。天上他界=冥王星でもあるのだろう。「黄」と「冥」という漢字を、モネならぬ「喪寝」のうえに明滅させれば、そこは黄泉の国でもあるだろう。モネは飼い犬の死をキッカケに「いのり」という一篇の詩を書く。その中に、《星は すべての迷えるものが 帰るための目印になる》という一行がある。モネは、こうして帰るための星を求めて「喪寝」の眠りを眠っているのかもしれない。この詩のあとには、こんな文章が続く。《終わるものはひとつもありはしない。目を開いてよく見ればそれは変化するだけのことなのだった。(略)だけど、壊されて失われてしまったそれが、もうそこにいないということを受け入れられたとき、過去と未来が輝き始める》。この作品のモチーフが中学生の生硬な思考を通して作者の声として裸で露出している箇所だ。そしてここにも川上作品と同じような時間が、リアルなどこにも中心のない「他界の風景」が浮上しているといってもいい。
 北野作品には《関東平野は急速に隙間だらけになり、擦り減り、漂白されてゆく》という一行がある。この作品は、一人の男の関東平野からの「脱出」「帰郷」を描いているが、巻き戻されたフィルムのように同じ場面が微妙に細部を違えながら反復的に描かれている。反復は、記憶の誤差を描いているともいえるが、背景にはあきらかに3・11以降の時代の無気味な空気がある。関東平野もまたブラックボックスの中にある。その中を男はずぶ濡れになり、Iという女と出会い、また出会い損ねて、着地点のない物語を織ってゆく。その呼吸は切迫している。こうして言葉を記し、物語を紡ぎ出していなければ、Iと私もこの世界も消えてしまうかというように。その彷徨と切実さが深く印象的な作品だ。
(詩人)







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