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評者◆吉田文憲
廃墟の上に降りしきる「灰」、燃え尽きたもののしるし・かたみ──廃墟の時間の中で生きるものたちへの深いレクイエム「火山のふもとで」(松家仁之、『新潮』)
No.3077 ・ 2012年09月08日




 六五〇枚の大作、松家仁之「火山のふもとで」(『新潮』)は、軽井沢、浅間山、建築家や建築設計事務所などという道具立てから、立原道造の世界への連想を誘われた。文脈から、立原の東京帝大建築科の友人丹下健三をモデルにした建築家が出てくることもあって、これはほとんど立原詩の世界をどこか模倣的になぞっているのではないかと思われる瞬間もあった。鮎子、春枝という立原詩を彩る村娘(あるいは、さらに恋人の水戸部アサイを加えてもいいだろうか)との淡々しい出会いと別離が、この小説では同じ設計事務所で働く麻里子、雪子というそれぞれに魅力的な女性と建築家志望の若い「ぼく」との心理的な恋愛劇のつづれ織りのなかに入れ子のように巧みに織り込まれている、というふうに。
 小説の主題は、時間だろうか。こういういい方をしてもいい。たとえば立原の建築観を集約するのは廃墟のイメージである。その廃墟の上にあの浅間山の小噴火の「灰」が降りしきる。このとき「灰」は時間の暗喩であると同時に、その燃え尽きたもののしるし・かたみでもある。すなわちこの小説の言葉たちも、時間という廃墟の上に降りしきる「灰」、その燃え尽きたもののしるし・かたみのように在る、書かれている、と。
 よく知られた立原詩「はじめてのものに」に、次の二行がある。
 《その夜 月は明かつたが 私はひとと 窓に凭れて語りあつた(この窓からは山の姿が見えた)》
 これとほとんど同じシチュエーションが、「ぼく」が麻里子や雪子と過ごす場面に二重写しのように再現されている。火山の麓を動き回るさまざまな人間たちの背後には、いつも黒い浅間山の姿が見え隠れに見えている。そして「ぼく」もしばしば有史以前、有史以後の浅間山の噴火に想いを馳せる。窓辺で語り合う男女。国立現代図書館のコンペへ向けて忙しく立ち働く設計事務所のちっぽけな人間たち。火山という千年、万年単位の物理的な時間のなかに息づくものと、わずか百年足らずの時間の片隅のなかに存在するもの。だからこの小説の人間たちはみな手に負えない途方もない時間の暴力のなかで死へ向かって、廃墟へ向かって生き急いでいるようにもみえる。それを火山という自然と、建築という人工的で「構成的時間」の対比として語ることもできようか。小説の大部分は一九八二年から八三年の出来事を語っている。それが末尾の章で一気にこの世界を破壊せしめるだけの時間が流れ去る。「二十九年前の夏、私は初めてここにやってきた。」これがラストの章の書き出しの一行だ。登場人物の何人かは死に、山荘の設計事務所にも、「埃の微粒子」が浮かび、あたりを水流のように動き回る。建物も半ば廃墟と化している。そのときその場所に立ち竦む「ぼく」の耳に、この設計事務所の当時の「先生」、亡くなったあの村井俊輔の声が聞こえてくる。
 《ながらく眠ったままではあっても、刻印されたものは失われていない。息の根をとめられたわけでもない。この夏の家をもう一度、きみがあたらしくすればいい。澱んで動かなくなっている現実に、息を吹きこめばいい》
 こうして長い間不在に晒されていた山荘兼設計事務所の煖炉の煙突から、数年ぶりに煙が立ちのぼる。人間の営みが再開され、ふたたびここに新たな時間が動き出す。見事なエンディングではなかろうか。
 文学的香りが高すぎるとか、清潔すぎるとの批判もあるようだが、立原詩との照応や、印象的なエピソードの幾つもの重層による緊密な音楽的構成など、全体が暴力的ともいえる廃墟の時間の中で生きるものたちへの深いレクイエムになっている。今月、随一の秀作といっていい。
 小説としては必ずしも成功しているとは思わないが、澤西祐典「文字の消息」(『すばる』)にも興味をそそられた。女性の手紙で、「文字が降る」という異常現象、その文字の断片が埃のように日々あらゆるところに降り積もり、一つの町が崩壊してゆく様が描かれている。一読、中島敦の「文字禍」やJ・G・バラードの『結晶世界』などへの連想を誘われた。仮設住宅や風評被害などの言葉が出てくるから、この降る文字は放射性物質かとも思われた。けれども、考えてみれば文字はメールや手紙、新聞やテレビ、あらゆる書物・情報等を通して、毎日わたしたちの心身に、その細胞に、生きる時間の隅々に降りつづけている。生きるとは、降り積もる文字、言葉を情報として浴びつづけることだといってもいい。そういう現代社会への寓意がここにはあるのかもしれない。文字がわたしたちを崩壊させるのだ、と。
(詩人)







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