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評者◆吉田文憲
記憶はどこかフィクショナルなものを孕んでいる――分離したものの回復不可能な喪失の物語「悪い双子」(前田司郎、『文學界』)
No.3071 ・ 2012年07月21日




 記憶とはその核にどこかフィクショナルなものを孕んでいる。そういう意味では、あらゆる記憶は「偽記憶」といってもいいのだが、その「偽記憶」をアリバイにして、前田司郎は「悪い双子」(『文學界』)という巧みな物語を書いている。イチオには幼少時に死んだ双子の朧気な記憶がある。母はそれを自分に隠しているのかもしれないと思い続けている。「双子の死は隠された。隠されたことにより、残った」、と。残ったのは記憶の底に秘められてある秘密だろうか。秘密の中の埋め尽くせない分身の死だろうか。イチオが十五歳のとき、そこに同い年の親戚のハトコが現れる。そのハトコが隠された双子なのだとイチオは思う。
 双子とは求め合う二つの分身、あるいは分離したものの回復不可能な喪失の物語であろうか。イチオには時々ハトコが空っぽに見える。プラスチックの人形みたいに思えるときがある。だからこそイチオはハトコに魅かれる。イチオは空っぽのハトコに霊的な息を吹き込む魂のようなものだろうか。この物語はあきらかに旧約のアダムとイヴを偽装している。「神様ごっこ」を偽装している。だがその語られない秘密のむこうになにがあるのか。ハトコとの性交、合一は、始原の時の黄金時代というあの神話を回復することになるのか。誕生以前の母の子宮のなかでのまどろみと生の充足を生きることになるのか。「悪い双子」の最後は、
 《「あなたは私じゃないわ」》
というハトコの言葉によって結ばれる。女性器を観察し、その黒い穴を覗き込み、世界の秘密に触れても、「秘密はどこにも通じていない。それはただの肉の穴だ」。これを出生の秘密にまつわる物語として読めば、その起源には「空白」しかない。「私を証明するものは何一つない」のだ。
 群像新人文学賞の岡本学「架空列車」(『群像』)が面白かった。絶望にさえ飽きていたとうそぶく男が、孤独な環境に身を置くために、東北の海辺の町に住む。そこで現実の町に地図上の架空の駅を定め、「架空列車」を走らせる遊びに熱中する。それが第一部。第二部は、その空想の架空列車の走る場所が3・11を想わせる大地震・大津波により壊滅する。その被災体験を記述する。これは一種虚構である世界に現実が入り込んできたことを偽装するメタフィクション、パラレルワールドの物語であろうか。第二部は、
 《あの日の記憶がない。》
と書き出される。「連続したあの日一日の記憶を脳が拒否しているのだ」と続く。作者はこの拒否の姿勢を貫く。あの大地震も、あの大津波も架空だ、目の前の荒れ果てた土地で巣穴の整備に忙しい蟻だけがいまはリアルだ、と。こうして「僕は結局いまでも、目に見えない壁を自分のまわりに構築してすべてを拒んでいる」。冒頭の「絶望」は、最後この一行にたどり着く。地震も津波もこの虚構の小説の中で起こった出来事なのだ。どうしてそれに責任やうしろめたさを感じる必要があろうか。架空は架空を自己言及的になぞってみせる。そのことを確信犯として遂行してみせたところがこの小説の魅力だろう。
 同じ群像新人文学賞の優秀作、片瀬チヲルの「泡をたたき割る人魚は」(『群像』)は、女性の下半身が魚へと変身してゆく場面の描写がすばらしい。感覚的なキラメキ、細部の魅力の生々しさという点では、こちらの方が受賞作よりもすぐれている。ただ難点は、セリフ、あるいは男たち(他者)が登場してから作品が突然薄っぺらいものになる。だが島のそれぞれの家の庭には泉があり、それが海と通じているという「水の通路」や物語の空間設定には心惹かれるものがある。
 文學界新人賞、小祝百々子の「こどもの指につつかれる」(『文學界』)は、三十二歳の女性の書いた六十五歳の老人の物語だが、とても新人の手になる作品とは思えない語りのうまさに舌を巻く。弟との激しい諍いがもとで、四十五歳のとき老人は事故で片腕を失う。じつはそのときの失われた片腕の「幻肢」がこの物語の語り手である。冒頭近くに、こんな場面が描かれている。なじみの洋食店で食事をしているとき、母に連れられたひとりの幼女が老人の左袖の空洞に手を入れてくる。
 《こどもらしい好奇心から袖のトンネルのなかをさぐってみたいのかと思う一方、この子はまだ人間のこどもですらない、ことばも憶えたヒトの子が胎児のころの記憶を語るようにこの年齢の子だけが持っている特殊な感覚があるかもしれない。ヒトの姿でありながらヒトでない種族が、なにかを感じ取ったのではないか……》
 ここにこの物語の秘められた核心があるのではないかと思った。
 一言でいえば、この物語も失われた片腕の空洞がモノを言う、構造的にはうつ‐ほ物語ではないか、ということだ。うつろ、空洞が「胎児のころの記憶を語るように」ないところに宿り着いた記憶が幻肢の感覚を語る。その「うつろ」に「ヒトでない種族」が住みついた。それがこの小説のタイトルの示唆するところでもあるのではなかろうか。
 失われた片腕、袖のトンネルに充満するヒト以前の感覚、その「うつ」なる場所に発生する不思議な出来事、「ほ」。これは古来モノガタリ発生の原型的な構造である。「ほ」は、この作品で言えば「受精卵」や「細胞」に当たるだろう。
 それが、この物語が「人間は約六〇兆の細胞でできてい」ると冒頭に語り出されるゆえんでもあるのだろう。
(詩人)







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