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評者◆内藤千珠子
決して特別でない一瞬の価値――物語の特別な主人公になろうとすることの危うさを問題化する「来たれ、野球部」(鹿島田真希、『群像』)
No.3030 ・ 2011年09月17日




 上野千鶴子の最終講義「生き延びるための思想」(文學界)は、女の思想は生き延びるための思想であり、生き延びるためにこそ言葉が必要なのだという力強いメッセージを伝えている。このなかで上野は、女性をはじめ、社会的弱者を「問題を抱えた人」といい、その「問題」に、「あなたをつかんで放さないもののこと」という印象深い言葉をあてている。現在を生き延びるための方途を小説のなかに探そうとするとき、登場人物たちの「問題」は、どのような傾きを帯びているだろうか。物語の主旋律を生きる主人公ではなく、むしろ背景に異なる声を響かせる登場人物に焦点を当てるなら、排除の力学とともに世界をつかんで放さない問題の質が現れ出るように思う。
 今号で完結した鹿島田真希「来たれ、野球部」(群像)には四人の語り手が設けられているが、物語の中心にあるのは、宮村奈緒と喜多義孝の風変わりな恋愛である。二人は高校に進学したばかりで、喜多義孝の方は、野球部のエースにして学園のスターなのだが、自己統御できない不吉な闇を抱えている。それに対し、宮村奈緒は、見かけは凡庸だが、おそろしいほどマイペースで、染まらない強さと特異性をもった人間だ。一方、この学園の主人公たちを脇から支える語り手が野球部顧問の浅田と音楽教師の「小百合先生」で、独特な個性をもった主人公たちに比べると、はるかに平凡な日常を生きている。
 小説の冒頭には、十年前に自殺した女子生徒の存在が示され、小百合先生は、彼女の記憶に縛られ続けている。彼女から渡された日記と遺書のコピーが手元に残るが、そこには、自殺を特権化した世界観が描かれていた。それは、自殺することによって特別になれる、といった物語像にほかならない。精神安定剤に依存する小百合先生は、「いつまでこんな居心地の悪い世界にいなければならないのかしら」という問いを発しており、実のところ、自殺の物語に魅了されているだろう。小百合先生は喜多義孝にその日記を手渡し、恋に苦しむ彼はその世界観に吸引され、自殺未遂をするが生き延びる、というのが物語の大筋である。
 この小説の構図から読み取られるのは、恋愛と自殺が対になった世界像にほかなるまい。主人公の自殺未遂と対になるのは、「ごく普通の人間」であったはずの、浅田の妻の自殺である。主人公の背景に重ねられたふたつの自殺が、物語に問いを生む。恋愛と自殺をかけあわせた物語にあって、批評的強度を構成するのは、主役になることを望まない主人公、宮村奈緒の位置であろう。注目されることを好まず、主役から距離を取って自分を貫く彼女の強さが全体に波及することで、テクストは、物語の特別な主人公になろうとすることの危うさを問題化するのだ。小説の末尾付近、小百合先生と宮村奈緒が嫌みや反論をぶつけて「ばちばちやり合う」場面で、小百合先生は「なんとなく彼女にあつーい抱擁をかましたくなった。さっきまでばちばちやっていたのに、変なのって」思う。その決して特別ではない一瞬の価値こそが、それぞれの問題に新しい見え方を与え、登場人物たちを物語から救っていく。
 川上未映子「すべて真夜中の恋人たち」(群像)に描かれる物語の中心にも、語り手の恋愛が据えられている。人との関わりが極度に苦手な三十代の女性が一人の男性と出会い、体験したことのない感情に囚われる。世界から孤絶して生きてきた語り手の変化は、恋愛という特別な感情によってもたらされる。だが、重要な読みどころは、女友だちの聖との関係が細やかに描かれた位相にありそうだ。仕事上知り合った聖は、職場で「今さらフェミなの? とか、強い女とかがんばる女とかもう流行らない」と言われもする、能力にも容姿にも恵まれた強気な女性である。華やかに勝ち抜き、生き延びながらも極めて孤独な場所にいる聖と語り手とは、表裏にあって対を描く。恋愛の物語の裏にはりついた女性同士のかかわりからみえるのは、失われてしまう貴い恋愛の物語と、決して特別な物語になりはしない、続いてゆく女同士の友情とのいびつな対である。二人の女性が、擦れ違いながらもむきだしになった孤独をぶつけあう激しい場面には、物語的出来事からこぼれ落ちた交わりの輝きが読まれるだろう。
 瀬川深「五月、隣人と、隣人たちと」(すばる)は、自死や孤独死などの「寄る辺のない死」、あるいは犬や猫の供養を生業とする語り手の生活を描き出す。彼のゆっくりとした移動の速度からは、死の後ろに推察される無数の背景が現れ、語り得ないもの、語りにくいものを貶めたり勝手な意味を押しつけるのとは異なる作法が透けて見える。特別な印がつけられたものの背景を見遣ることは、排除と差別の力学を組みかえる一歩につながっていく。
(文芸批評)







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