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評者◆内藤千珠子
居場所をめぐる切実な問いかけ――関係に支えられた居場所を織るための方途が模索された一篇「パトロネ」(藤野可織、『すばる』)
No.3023 ・ 2011年07月23日




 私の居場所はどこなのか。居場所をめぐる切実な問いかけが、小説のあちらこちらに顕在化している。安心して寛げる場所、誰かに承認され、居心地のよい関係を結んでいられる場所。居場所を求める物語の稜線からはむろん、自分を落ち着かせることのできるその居場所をもつことが、絶望的なまでに難しい現在が逆照射されてくるだろう。
 藤野可織「パトロネ」(すばる)は、一人暮らしをしていた大学生の「私」が、同じ大学に入学することになった妹と、姉妹で同居せざるをえなくなるという設定から語り起こされる。語り手は、自分一人の場所を侵蝕されることの小さな苛立ちから、ロフトと下の部屋とで棲み分けることを提案し、妹に決してロフトには上がらないよう言い伝える。上から妹の暮らす空間を眺め下ろす生活が始まるが、侵入されることを嫌悪しながらも、「私」は妹に対する関心や執着を隠さない。妹の方は「私の要求が気に障った」らしく、私が何を話しかけても返事をせず、「意図的に無視しているのだった」。
 妹が写真部に入ると、私は追いかけるように入部するが、写真を撮ることに関心があるわけではない。一方、熱心に打ち込む妹の撮る写真のなかには、廃墟のイメージばかりが選びとられている。自分では写真を撮らない私は、フィルム容器であるパトロネの、中身を引き出して空になったものばかりを何とはなしに集め、そして妹の未現像のフィルムを間引きするように掠め取り、パトロネのコレクションに加えていく。タイトルに通じるその記号が象徴しているのは、空白と廃墟を集積した場所にほかならない。
 妹はそのうちに写真部をやめ、私は写真部の部室を居場所として定める。いつしか妹は、同居していた部屋からも消える。物語展開よりむしろ着意すべきなのは、残された「私」の、妹との一方通行の関係に起因する、驚くべきほどの存在感の稀薄さにこそあるだろう。他者と会話する場面も少なくはないが、最も関心の濃度が高い妹の身体が、徹底して私を無視することによって、語り手の「私」は、確かにここにいる、という感触を欠いた記号と化すのだ。仮に語り手が現実には不在の霊的存在だったという結末が用意されていたとしても不自然と感じられないほどに、私の言葉、私の目線は、はかなく他者から孤絶している。しかしながら、唯一この「私」の存在感を伝えるのが、顔面に居座った皮膚炎の症状である。通院しても完治しない湿疹、かゆみ、不快感、引っ掻き傷。それらはテクストの末尾で、パトロネに接続される。負の現実感を物語の動力として、空白、あるいは廃墟としての現実世界のなかに、関係に支えられた居場所を織るための方途が模索された一篇だといえよう。
 借金の返済、別れた妻への慰謝料と養育費の支払いに追われる「僕」の現在が描かれる岡崎祥久「青空」(群像)では、現実世界と「僕」が見る夢の世界との間の越境が何度も繰り返されるうち、現実の強度が失われ、夢の時空が物語の基準線と成り変わる。冒頭で語り手の心に浮かぶ「すべての逆境に出口が用意されているわけではない」というフレーズは、安定した場所を選びようがない語り手の現況と呼応しつつも、小説を支える両義性の間を行き来し、変奏されてゆく。夢の時空を境界のこちら側に呼び込み、そのなかで移動を続ける「僕」の隣には、未知の要素を携えた他者が描き込まれている。出口をめぐる移動は、居場所を探す力学においても重要なファクターだと言わなければなるまい。
 青来有一「惑乱」(文學界)は、長崎に投下された原爆、沖縄戦といった歴史的な出来事を、夫の性的裏切りに心を乱し続ける女性一人称の物語に編み込んだテクストである。夫の裏切りに端を発する語り手の現在時は、不幸の定型ともいうべき平板さを見せるが、そこに戦争の歴史が接続されたとき、非対称な歪みが現れる。こうした小説の次元は、現実世界の不確かな空虚さが、実際には連接しているはずの歴史性を無関心によって不可視とする態度に因っていることを鮮明に指し示すだろう。また、山内令南「癌ふるい」(文學界)は、癌と診断されることで生じる境界線が、診断された側からははっきりと見え、その逆にいる者からは見えにくいという構造の暴力を明らかにした作品である。ステージⅣと診断されたことを知人に伝えるメールと、その返信、返信に対する採点から成るテクストに示されるのは、不均衡な境界線があっても、それを越境して濃い関係性を取り結ぶことはありうるのだという応答の手応えにほかならない。立場の異なりは、隔たりではなくつながりを生み落とす契機をつねに内包してはいるのだ。
(文芸批評)







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