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評者◆増田幸弘
サービスの「共産化」2
No.2904 ・ 2009年02月07日




 共産体制下のチェコでは、「表現の自由」というものは事実上、存在せず、検閲を経たものだけが出版されていた。新聞や雑誌、単行本や音楽まで、すべてにおよんだ。検閲をかいくぐって発行されたものは「地下出版物」と呼ばれ、秘密裏に流布し、発覚すれば、取り調べを受け、投獄されることもあった。

 1893年に創刊されたチェコ最古の日刊紙『リドヴェー・ノヴィニー』も、共産体制下は発行が禁止されていた。しかし、1980年代には「地下出版物」として発行され、民主化運動の象徴のひとつとなった。

 その編集の舞台になったホスポダ(パブ)で、当時の関係者に会ったことがある。そのホスポダは現存し、編集者だった彼もいまその店の運営に携わっているのだからおもしろい。不特定多数の多くの人が集まり、ざわめきがあるホスポダは、こうした「密会」には最適の場所だったという。

 その『リドヴェー・ノヴィニー』もいつしかドイツ資本の新聞となり、過去の輝かしい「反体制」の歴史とは縁遠い、ごく普通の日刊紙として、いまでも発行をつづけている。

 共産体制下では、党の批判はおろか、党の方針とそぐわないものは検閲によって発行が禁じられた。プラハに生まれ育った作家フランツ・カフカの書いた小説もまた禁書であり、学生たちはコピーを回し読みしたとのエピソードが残っている。カフカ作品をテーマに「国際マルクス主義会議」がチェコで開催されたこともあったが、もちろんカフカをマルクス主義からとらえるというまったくナンセンスな、実りのない会議だった。

 インターネットの発達によってさまざまなサービスが無料になっている状況を、「サービスの共産化」ではないかと感じている。「共産化」である以上、サービスが無料になるばかりではなく、新しいかたちの「検閲」もまたはじまったようだ。

 中国などではネットに制限を掛けられることもある、と聞く。電子メールもすべてとどくわけではない、との根強い噂もある。しかし、この「共産化」による「検閲」は、当局がおこなうばかりではない。そこに「サービスの共産化」の怖さと闇がある。

 ネットが切り開いた「民主化」によって、不特定多数の匿名なる一般大衆が「検閲」を、個人的かつ集団的におこなうようになった。なんらの権力も持たない一個人が検閲官となり、もともとはなんのつながりのなかった人たちがネットを介して結びつき、「炎上」していく。

 ヒトラーのことを「ヒトラーおじさん」と呼び、その演説を「癒し」と表現したアイドルが「検閲」にあい、番組を放送したテレビ局が謝罪するという「事件」が昨年あった。しかし、ヒトラーによって蹂躙された国にいま暮らしているぼくは、このアイドルはいまどきの若者には珍しい、すぐれた歴史感覚の持ち主ではないかと思った。

 第一次世界大戦に敗北し、世界恐慌に見舞われ、徹底的に打ちのめされていた当時のドイツの人びとは、文字通り、ヒトラーに陶酔した。宣伝大臣ゲッベルスの緻密な戦略も効を奏し、人びとはヒトラーの演説に「癒し」を感じたからにほかならない。チェコのドイツ系住民はヒトラーを強く支持し、ドイツがチェコを併合する格好の「言い訳」ともなった。

 別にこのアイドルに限ったことではない。いくらでも他に例はあり、しかも次ら次に、不特定多数の「検閲官」たちは獲物を狙う。獲物は有名無名を問わない。友人が個人的にやっていたブログが「炎上」し、2チャンネルのネタにもなったことがあった。きっかけは本当に些細なことだったようだが、その執拗さは呆れるくらいのものだった。

 当局の「検閲」には「政権批判は認めない」「性器が写っていてはいけない」などという基準があるのが常だった。その基準が政治的なものであれ社会的なものであれ、当局者たちには国の規律を守るという目的をもって、さまざまな検閲をおこなってきた。

 しかし、ネット時代に出現した不特定多数による「検閲」はその基準がきわめて曖昧だ。はじめは悪意のない良心からくる書き込みなのかもしれない。しかし、いつしか理由はなんでもかまわないものになってくる。「反対だから」「気に入らないから」「めざわりだから」「嫌いだから」という具合で、下手すれば「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」である。

 アイドルにしても、まさかヒトラー発言で叩かれるとは思っても見なかっただろう。なにが問題になるかわからないし、問題にしようと思えばなんでも問題にできる。その瞬間、袋だたきがはじまる。現代におけるリンチといってもいいだろう。

 日本のメディアが標榜してきた「表現の自由」の裏側には、「自主規制」や「言葉狩り」がつきまとってきた。「取材協定」もそのひとつといっていい。漢字表記が共同通信の『記者ハンドブック』に載っているかどうかも大きな基準だ。

 こうしたさまざまな規制の行き着いたところが、一般大衆の「検閲」だったのではないかと思ってしまうこともある。もちろんいちばん怖いのは一般大衆の「検閲」であるのはまちがいない。

 共産体制社会のいちばんの問題は、それが監視国家であり、隣人や友人ばかりか、夫婦さえも密告し合う密告社会だったことにある。その当時は密告することによってなんらかの見返りがあった、といわれているが、ネット上が大衆がおこなう「検閲」や「監視」「密告」にはそうした見返りは匿名による「ちょっとした楽しみ」でしかない。

 それにしても、ネットの時代を見ていると、日本人がこんなにものを書き、なにかを「評論」したり、「議論」したりすることが好きだったなんて思いもしなかったと、つくづく感じてしまう。人前で歌うのが苦手だと思っていた日本でカラオケが生まれ、ブームとなり、そして定着したのとその精神性はよく似ていることかもしれない。







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