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映画
日本人の中国認識を揺さぶる映画体験
書籍・作品名 : 死霊魂
著者・制作者名 : 王兵  
小泉雅英   70才   男性   





王兵の『死霊魂』を観た。コロナ災害で2回も延期された後、ようやく今回の公開(8/1~)で作品に接することができた。8時間26分の超大作だが、この映画の時間は、スクリーンに立ち現れる映像と音声が、否応なく人を凝視させ、耳を澄まさせるものだ。この作品を観ながら、何度も『無言歌』のシーンが浮かび、交じり合った。『死霊魂』の登場人物の話には、これは『無言歌』で観たあのエピソードのことだ、と思うことが何度もあった。例えば、遺体から肉を剥ぎ、焼いたり、保存して食べたりする話は、複数の証言があるが、それは『無言歌』にも描かれていた。食えない植物を食べてよく下痢したという話を聴きながら、壕の外で苦しそうに吐く男の吐瀉物の中に、未消化の物を探し、それを拾って口に入れる『無言歌』のシーンを思い出していた。
 第二部に登場する趙鉄民氏の証言は、その迫真性で、特に強い記憶が残った。人肉を食った男の話をしながら、食った男の名前は直ぐに出てくるが、食われた者の名前がなかなか思い出せない、というのもリアリティがあった。夫を訪ねて、西安から子連れでやって来た女の話には、胸が詰まった。ようやくこの辺境の地の収容所に到着したが、既に夫は死去していたことを知った彼女は、子供を事務所に預けた後、布団カバーを裂いた紐で、首を括り、自死を図る。この話は、『無言歌』の重要なシーン、上海から来た女性が夫の死を知る顛末と、墓を探して砂漠を彷徨し、仮の墓の前で号泣するシーンを思い出すのは、ごく自然なことだ。この趙氏の証言は、死者となった「囚人」仲間たちの記憶だけではなく、彼自身が収容されるまでの経緯や、2回も脱走を図った顛末、家族への愛情など、実に活き活きと語られ、『死霊魂』の中で際立って魅力的なものだった。
 『死霊魂』は、一つ一つが重要な証言で、それぞれの語りも個性的で、一つ一つ、じっくり聴き直したいと思うほどなのだ。その中で、この熟達した話芸を聞くような趙鉄民氏に加えて、第三部に登場する氾培林氏の静かな証言が、特に強い印象を残した。氾氏は、本人が収容されたのではなく、文学教師だった夫が右派として批判され、再教育のために収容されたのだった。子どもを抱え、辛酸をなめて暮らし、会いに行く余裕もないまま、夫は収容所で餓死し、再会することはなかった。その後、同じ収容所の生存者と再婚したが、彼も後の文革時に批判され、暴力を受けて半身不随となり、苦労の果てに亡くなったという。こうした彼女の波乱万丈の個人史が、中国の歴史と合わせて淡々と語られ、この映画の掉尾にふさわしいインタビューだった。
 王兵のカメラは対象に感応し、カメラの後ろで、思考を続ける主体がいる。対象が人間の場合は、その人物との信頼感(trust)に裏打ちされていることが分かる。談話分析で言うラポール(rapport)が築かれている、と言っても良いだろう。人に対しても、物に対しても、カメラの背後には凝視する主体と、対象への親密な視線がある。『収容病棟』の廊下を駆け周る男を追いかけるカメラには、その人物を見つづける眼差しがあるのだ。
 映画『死霊魂』は、収容所跡周辺に散らばる頭蓋骨などの骨片を、一つ一つ確認するように進むカメラが、ザクザクと歩む足音と、吹き抜ける風の音を聞きながら、壕の入口で停止する。そして、長い沈黙を残して、画面は溶暗していった。
 日本でも中国現代史を少しでも学べば、誰でも「百花争鳴」「反右派闘争」などの言葉を知るだろう。しかし、その実態を知ろうとする者は、どれだけいるだろうか。この映画には、その穴を埋める重要な証言が詰まっている。1989年「6・4」によって中国認識を転換させられた私には、この『死霊魂』は、その認識をさらに揺るがし、深化させる映画体験だった。他の誰にも、しかも二度と成しえない歴史的・映画的達成である。機会があれば、体力を整え、ぜひ見直したいと思う。
 なお、今回の公開に合わせて公刊された『ドキュメンタリー作家 王兵』(土屋昌明・鈴木一志共編著、ポット出版プラス刊)と、劇場公開用パンフレット(ムヴィオラ発行)は、この作品の理解にとても役立った。特に前者は、王兵監督へのインタビューが2本収録されていて、王兵の生の発言に接することができる。王兵作品を包括的に論じる藤井仁子の論考も必読だろう。本書の中心となる「『鳳鳴』を読み解く」は、王兵の重要な作品『鳳鳴』を徹底的に」解読していて、映画と歴史を同時に理解できるように作られている。巻末のフィルモグラフィは、デビュー作『鉄西区』から制作進行中の『上海の若者』まで、解題と短い批評的解説が収録されていて、王兵ファンにはとても実用的で、学べることが多い。(了)






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