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文学
ロマン小説をモダニズムで読み替える
書籍・作品名 : 謎とき『風と共に去りぬ』
著者・制作者名 : 鴻巣友季子 新潮社2018.12  
すすむA   59才   男性   





いまもキャノンになり切れないでいる『風と共に去りぬ』(以下『風』)だが、日本ではこれを読まなければ女性と話もできなかった一時代もあった。改めて気付いたが、マーガレット・ミッチェルは、アメリカ文学でモダニズムの旗手とされているフォークナーやヘミングウエイ、フィッツジェラルド等と同世代の作家だった。本書には「モダニズムに背を向けたミッチェル」とあるが、さりとて1935年に出版された『風』が旧弊の南部小説に属していたわけではなかった。著者はその『風』を徹底してモダニズム的に読んでみようとする。それはそうだろう。どんなに古い小説でも、いま論評を受けようとすれば、モダニズム/ポストモダニズムの洗礼を浴びずにはいられない。正確を期して言えば、洗礼を浴びてしまっているのは読者のほうなのだ。

著者の結論で、私が感心し、納得するのは、以下の三点である。

①『風』は白人富裕層の物語ではない;原作者が「不可能だ」とするのを押し切って制作され、1939年に公開された映画は、南北戦争を背景にした「南部貴族」の恋愛譚で「古き良き南部」を表出した。それに影響されて、原作も当時の「身分差別」や「人種差別」を肯定していると読むのが、私も含めて、一般的になった。だが『風』をよく読めば、物語を動かしているのは南部の異分子、少数者、はみ出し者、日陰者たちで、スカーレット・オハラも「主役にしてつねに「部外者」であり、友人、家族からだけではなく、「物語からも「のけ者」にされている、と著者は述べる。貴族らしい振る舞いをするのは、メラニーとアシュレのみで、スカーレットはサザンベルの基準にほど遠い存在の「嫌われ者」に描かれる。したがって『風』は本質において、貴族令嬢の「たんなる恋愛小説ではない」。この「共感しがたい」人物に感情移入できるのは、女性の「自然性」を否定されている、世界の“みじめな”女性たちだ。著者は、「彼女[スカーレット]が嫌い抗うのは、(「南部社会」として描かれている)同調圧力、全体主義、狂信的ナショナリズム、戦争、排他主義、管理。監視社会―すなわちいまわれわれが向き合っている世界」だ、とまで言い切る。

②『風』のテクストは巧敵な文体戦略と現代的なキャラクター造形から成る;これまで誰も問題にしてこなかったという、複雑な語りのレトリックに注目できるのは、著者が全文を一人で訳した翻訳者だからである。『風』の文体には、語り手がある人物の内面から、他の人物の内面へと、「視点のさりげなく微妙な移動」と、「声の「濃度」の細かい年変化」がある、と見抜き、その技術を可能にしているのが、間接話法から、自由間接話法、自由直接話法、直接話法に至る話法のグラデーションだという。ミッチェル自身が、誤読を恐れずに、そんな寝技が表面に表れないように、つまりストリーテリングに徹し、間違ってもモダニズム文学の烙印を押されぬように、細心の気配りを払っていたと言う。「全能の語り手」は大衆小説家が得意とするが、その一方でドストエフスキーの「ポリフォニー」にも通じる純文学的な受け取り方もできる。著者はそれぞれの描法に対して、物語から実例を引き出して説得力を与えている。細心の注意を払いつつ文章を読むことを「読者」に強制する、これはモダニズム文学の特徴である。

③『風』のヒロインは〝スカーレット・オハラ″だけではなく、ダブル(分身)ヒロインものである;分身説もきわめてモダニズム的な見解で、メラニーがスカーレットの分身であるとする精神分析的解読に特に異論はない。一方で「隠れ主役はメラニーである」というミッチェルが読者に書いた手紙もあるそうだ。私は、作者が言っているからそれが「正しい」とは思わない。主役が誰であるかはあらゆる小説で問題にされ、同じ漱石研究者でも、小説に「主役はいない」とする佐藤裕子フェリス女学院大学教授(『主人公はいない 文学って何だろう』2009年)もいれば、「主役は構造化されている」と唱える石原千秋早稲田大学教授(『読者はどこにいるのか 書物の中の私たち』2009年)もいる。いずれも読みようだが、私は石原説を支持したい。スカーレットは物語を統制していないとはいえ、物語の(時には物語を混乱させる)語り手であり、兎にも角にも、物語を「駆動」させていることは確かである。メラニーは主役(protagonist)のスカーレットに対する反主役(antagonist)の役目を負っているという解釈も成り立つ。確かに数多くの登場人物がフラットキャラクターである中で、唯一メラニーのみがラウンドキャラクターの含みを持つ人物だ。ただし、E・M・フォスターが述べる、フラットキャラクターの「命がけの跳躍」ということも有り得るので(『小説の諸相』1927年)、メラニーを主役とするのも、アンビバランスだと思う。






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