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文学
太宰治「陰火」について
書籍・作品名 : 陰火
著者・制作者名 : 太宰治  
谷口華奈子   18才   女性  





太宰治「陰火」について
谷口 華奈子
 私がこの作品を読んで一番初めに感じたのは,とてつもない違和感だ。
この「陰火」という物語は,「誕生」,「紙の鶴」,「水車」,「尼」という4つの短編から構成されている。初見だけでは,全くの別の話の集合体である。だが繰り返し読むと,この4つの短編は実はある1つの主題に基づいて書かれたものであることに気づく。その主題というのは,まず,「陰火」という言葉の意味を説明してから述べようと思う。「陰火」という言葉には〈鬼火・人魂・狐火〉総じて,現世より切り離されたこの世ならざる者という意味がある。この聞きなれない言葉を題名として持ってきたからには,この世ならざる者あるいはそれ相応の者が4つの短編の中に共通して出てきているはずである。だが,4つの物語に出てくるのは決まって男女ばかり。また,4つの物語は全て男女間の情念について描かれているのだが,これは通例の太宰作品の構成や設定と特別変わりはないのである。「情念」というのは,作品によってそれの意味するものは異なるが,4つの短編は共通して,男性が女性を理解し得ないために生まれる男女間のわだかまりを表現しているように思われる。果たしてこれらのどこにこの世ならざる者が登場しているのか,この時点で私は全く見当がつかなかった。しかしここで,私は最初に感じたとてつもない違和感が,どうやらその語り手に起因していることに気づいた。この話は,太宰には珍しく男性の視点から語られているのだ。太宰は本来,女性の観点で描いた作品こそ,その本領を発揮するといってもいいほどそのスタイルを得意とし,またこのスタイルで描いた名作も数多く残っている。だが,どうだろう。この作品は不思議なことにすべて語り手は男性である。この,太宰にしては珍しいスタイルに私は違和感を覚えたのである。私はこの違和感を受容したうえで,作品を再読してみた。そこに描かれているのは男女の情念であり,その事実は変わらない。だが,再読して気づいたことが1つあった。そこに描けれている女性は,実に不可解で,男性は4つの短編どれにおいても手を焼いているのだ。こうした女性への不信感とでもいうべき心情を,私は太宰の他著で目にしている。それは太宰治の代表作の一つ「人間失格」で,である。「人間失格」はもちろんフィクションだが,それは太宰治本人をモデルに描かれており,主人公の葉造は太宰の生涯をほとんど忠実に体現している。そのような,もはや太宰本人の暴露本とも言うべき作品においても,女性に対する不信感は事細かに記されていた。「男とはまた、全く異なった生きもの」,「不可解で油断のならぬ生きもの」,こうした表現を前に,私は「陰火」の意味を思い出した。この世ならざる者,それは男性,いや太宰にとって決して理解し得ない不思議で恐ろしい存在の女性を指しているのではないだろうか。そう解釈すると,4つの短編に共通して見られる男女の情念が生まれる理由もわかる。つまりこの作品は,太宰がこの世ならざる者と表現するほど不可解な存在である女性を,理解し,見つめ直そうとした1作なのだ。だからこそ語り手は男でなければならなかった。
では,太宰(男性)はこの作品を通して女性を見つめ直し,理解することが出来たのか。4つの短編の終り方,作中の雰囲気から見ても残念ながらそれは叶わなかったようである。その証拠に「尼」などでは,最後に尼(女性)は人形へと変化してしまう。結局太宰にとって女性は,同じ人間ではなく人間の形をした何かなのだ。この結論には少し寂しい思いもしたが,ここでまた一つ不思議なことに気づく。なぜ太宰はこれほどまでに嫌悪していた女性を物語の主軸に置いた作品を多く残しているのか,ということだ。前にも述べたように,太宰の名作は女性をその語り手として選んでいることが多い。だが,どうだろう。「陰火」では太宰が女性を理解し得ないことが明らかとなった。それなのになぜ,太宰は女性を主軸にした作品を書き続けたのだろうか。それは「陰火」が書かれた年代に着目すると見えてくる。「陰火」が初めて世に出回ったのは1936年。対して女性を主軸に展開する主な作品,例えば「ヴィヨンの妻」は1947年。また「桜桃」は1948年と,いずれも女性を主軸にした作品は後年に描かれている。これは私見だが,太宰は「陰火」で女性と相容れない事実を再確認した上で,それでもなお女性を理解するために,女性視点の作品を書き続けたのではないだろうか。そう思えば,あまり名の知られていないこの「陰火」という作品は,太宰の出発点,そのきっかけを作りだした名作と言える。






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