文学
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戦後日本を象徴する二宮つたゑ
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書籍・作品名 : 水曜日の凱歌
著者・制作者名 : 乃南アサ 新潮文庫 2018.7
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すすむA
58才
男性
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終戦前後の歴史事実を背景にしたフィクションである。だが史実の誤りを最初に気付くのが残念だ。
まず、鈴子が8月29日付の新聞の「昨日連合軍の先遣部隊150名厚木到着」を読んで、「そのうち何人くらいが昨日、(大森海岸の遊郭)小町園の前に行列を作ったのだろう?」と考えるシーン。本土決戦まで決意した日本軍と4年間血みどろな闘いをしてきた米軍兵士が、「敵国」に上陸したその日に大挙して遊郭に来た、には開いた口がふさがらなかった。史実は8月29日に先遣隊が厚木飛行場に飛来して周囲の安全を確認し、30日に連合軍総司令官マッカーサー元帥が厚木に到着、横浜のニューグランドホテルにGHQを設置。9月2日にミズーリ号での降伏文書調印。その後将兵が東京に乗り込んできたのは9月8日である。いくら米兵が助平でも、そこまで緊張を欠くか。
次は、鈴子の母つたゑが、旧代々木練兵場に大規模な米軍専用の町が作られるという計画を知って、「そのすぐ傍に駐留軍やその家族向けのお店を出そうと」していると言う能瀬モトからの手紙。「駐留軍」とは1951年の講和条約で結ばれた日米安保条約に定められた呼称で、占領中は「進駐軍」である。こういうミスは小説の中身を傷つける。
「特殊慰安婦施設協会RAA」は、「日本婦女子の防波堤」と呼ばれた「官製」売春組織で、終戦2日目から企画され、8月28日に正式発足、翌年3月26日に突然閉鎖された。従軍慰安婦と同じ発想の、日米双方が隠ぺいしたかった恥多い戦後史の一つである。斉藤美奈子は「解説」で、RAAを真っ正面から取り上げた「本邦初の小説」と書いている。
時代背景は作者に任せるとして、私は主役の二宮つたゑ(お母さま)と娘、鈴子(すうちゃん)の心理に強く興味を掻き立てられた。
そもそもつたゑは存在し得たであろうか。5人の子を産み育てた45歳を超える寡婦。当時なら「初老」とも言える女性である。英語を話せることで協会に職を得るが、英語は20年以上前の女学校時代に学んだだけ。卒業後直ぐ結婚し、自分より賢い妻に嫉妬する亭主関白な夫にかしずいてきた「普通」の主婦である。そんな彼女が初日から(方言だらけの)米兵と言葉を交わし、慰安所の運営に力を示すとは。「とにかくすごい人」と同僚のモトは賞賛するのだが、にわかには信じがたい。
まあここは、女学校はミッションスクールで外国人宣教師も尼僧もおり、つたゑには先天的に語学能力や管理能力が備わっていたと好意的に受け取っておこう。彼女の主婦時代は「抑圧」そのものだった。夫を亡くし子供を失ったことで潜在的能力を革命的に「解放」させたと読める。
つたゑの原動力は「力」である。「力ない故に負けた」は、敗戦時日本人の平均的慨嘆だった。加えてつたゑには戦前日本のジェンダーバイアスの恨みがこもっている。自分には未だ男を惹きつける魅力が残っている。その武器を最大限利用する。宮下のおじさまも、ディビッド・グレイ中佐も、慰安婦さえも道具に過ぎない。つたゑは空襲で失った末娘千鶴子を嘆いていないし、学徒出陣で行方の知れない次男匡を案じていない、鈴子を寄宿舎に入れて捨てる積もりだ、との感想は半分的を射ている。
つたゑが「匡の帰省を心待ちにしていない」には傍証がある。匡兄ちゃまを心配しているのはもっぱら鈴子で、全編に亘って40回前後も兄の名を持ち出すのに対して、つたゑは計4回のみ。母の出店を鈴子に告げるのも、モトの手紙だ。切れない「親子の絆」の常識に捕らわれてはならない
つたゑは「魔物」になったのである。彼女の気性は、戦死者を捨て去って、強い者に縋り弱い者を捕食しつつ、高度経済成長に突き進んだ戦後日本のエコノミックアニマルの心情と通底する。つたゑは「新生日本の出発」に象徴化されているとも言える。
鈴子はどうか。彼女はつたゑの反主人公に設定されている。鈴子は「どうして」と言った疑問を繰り返す。こんな短い言葉で読者の心に響くコピーを私はこの小説で初めて味わったのだが、根源的な問いでもある。鈴子の「どうして戦争なんかになったの」という問いは未だに答えが出せていないではないか。
鈴子はまた戦争責任すら引き受けようとしている。慰安婦に向かって「ごめんなさい、ごめんなさい、後始末をおしつけるようで……皆さんに謝ります」と叫ぶのは、他のすべての登場人物が忘れている言葉だ。
一億「総懺悔」が唱道されているが、少女の鈴子にまで戦争責任を背負わせる形で物語は幕を引く。これもこの国の「再出発」のあり方だろう。戦後初の衆議院選挙で、39名の女性議員の当選が「凱歌」とされている終章だが、現在も同レベルだ。これも日本の戦後現象の一つであるが、鈴子を始めミドリや能瀬モトの思いは報われたか。そんな思いをもたらさずにおかない秀作である。
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