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文学
身 の 変転 あかつき を 降る 春 霰
書籍・作品名 : しづ子-娼婦と呼ばれた俳人を追って
著者・制作者名 : 川村蘭太 新潮社2011.01  
すすむA   58才   男性   





雨宮処凛は或る本の中で、鈴木しづ子を語る男たちの口ぶりが、「俳句をどうこう言う以前に......彼女の存在自身に欲情しているかのようなのだ」と書いている。端からこう言われると身がすくむが、幸い私は彼女を詳しく知る前に、今年6月発行の句集『夏みかん酢つぱしいまさら純潔など』(河出文庫)を読んで、その出来映えに感動していたのだから、少しは処凛さんに言い訳が立つかも知れない。

かなりの作家たちによる彼女の伝記が書かれているが、その中でも本書は500頁に及ぶ大冊で、50年を要したという徹底的な調査も相まってこれ以上の評伝は無いだろうと思われる。著者は黒沢映像プロモーションの専務取締役で『黒沢明から聞いたこと』(新潮新書)の著書もある。

その調査であるが、これほどに精密な調べは他に類を見ない。徹頭徹尾現場主義なのである。小さな手がかりをつかんで情報元を訪ね歩き、さらにその裏を取って見聞を深めてゆく。その探求は二流の推理小説を上回る。しづ子や師の松村巨湫が移動したと知れば、乗った列車名と時刻まで当たり、例えば各地の支部を巡る巨湫が乗った、昭和27年2月12日の急行「銀河」の岐阜着0時15分同駅発0時17分の2分間の停車を利用した、しづ子との逢瀬を証明して見せる。そのネタはしづ子の俳句だ。
 <三度ほど深夜の汽車を見過ごせり>(昭和27年2月12日付 未発表)
 <雪の夜の御手に触れたる握手かな>(昭和27年2月12日付 未発表)

鈴木しづ子は大正8(1919)年生まれ、今年で生誕100年になる。昭和21年と27年に2冊の句集を上梓した後、その年の秋に忽然と人前から消え去った。著者川村蘭太氏は昭和20(1945)年の生まれだから、しづ子が姿を消した時7歳。調査を開始した昭和61年には、しづ子は既に歴史上の人物だった。著者の前にあるのは古書店で手に入れた〚春雷〛〚指輪〛と題する2冊の句集のみ。その序文に書かれた微かな手掛かりを基に彼女の軌跡をたどってゆく。

そのような執心はどこから来たのか。職業柄最初は映画化を考えていたようだが、費用の点等から早々に断念せざるを得なかった。だが調査はそれ以後も続いている。ある俳人は著者に「それは、あなたがしづ子に恋をしているからですよ」と云う。著者自身もその俳人に、「取材をしていて、時々、松村巨湫が憎くなって仕方なくなるんです。理由もなく憎くなるんです」と打ち明けているが、これ以上の心情吐露はないと思われる。しづ子の多数の男出入りの事実を見極めながら、著者はしづ子と巨湫の心身一体の宿命的な絆を確信して行く。その嫉妬心に限りはない。

最初著者はしづ子が年齢を詐称しているとは知らず、6歳下の妹正子が彼女に相違ないと踏んで調査を始めるのだが、苦労して住所を見つけた彼女から「姉は私よりもずっと美人だった」と告げられ振出しに戻る。次はしづ子の同僚ともいえる結社の同人たちから、昭和23年に岐阜に移ったしづ子から巨湫宛に大量の句が送られ、巨湫はしづ子の「失踪」から彼の死の昭和38年10月まで、彼の主宰誌に、しづ子の投稿句を小出しに掲載して、彼女の「行方不明」を隠してきたこと。その未発表原稿は巨湫の死後家族によって結社の幹部に「機械的」に分配され、それがある元女性俳人の物置に半ば捨てられていることを聞き詰める。著者の探求がなかったら、その元女性俳人の死後原稿はどうなったことだろう。そのコピーを入手した時から解明が急速に進む。

著者が所有する、しづ子の大量投句稿は、昭和26年6月8日付から翌年9月15日付迄の約7300句であるという。他からも集めて合計約8300句を収集したという。凄まじい分量だが、それは彼女の日記であり、俳句に対する彼女の決別であったと言う。

一体私をも感動させたしづ子句の魅力とは何か。覚束ない素人感想よりも、句のいくつかを紹介するほうが良いだろう。第2句集〚指輪〛から
<実石榴のかつと割れたる情痴かな>
<好きなものは玻璃薔薇雨駅指春雷>
<まぐはひのしづかなるあめ居とりまく>
<擲たるるや崩れ哭くこと意識する>
<山はひそかに雪ふらせゐる懺悔かな>
熱い感情(欲情・情痴)とそれを突き放す冷たい理性が句の裏表に密着している。努力して作った句ではない。天分のさせる業だ。

その後しづ子はどうなったのであろう。松村巨湫は自殺を仄めかすが、著者は納得せず、鈴木家の性向から仏門に入ったに違いないという。私は、英語が達者だったしづ子が、愛人だったケリー・クラッケ(Cary Clark?)の死後、彼の母の招きを受けてアメリカに渡ったと想像を逞しくしてみる。しづ子の活躍した時代、俳句は「第二芸術」だと蔑すまれていた。そんな風潮を一顧だにしなかった彼女の佳句を今読めることを何より嬉しく思う。






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