文学
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人間が人間である限り、限りなく続く闘い
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書籍・作品名 : ペスト
著者・制作者名 : ダニエル・デフォー/平井正穂訳 中公文庫改版2009.7
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すすむA
58才
男性
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1665年ロンドンのペスト大流行を記述したルポルタージュ小説である。西洋のペスト大流行はこれが初めてではないが、疫病と正面から向かい合った人間記録の最初だろう。作者ダニエル・デフォー(1660-1731)はこの年5歳だから、大惨状を認識していないだろう。本書の発行も60年後の1722年である。H・Fなる馬具商で独身の登場人物は、解説によれば、父親のヘンリー・デフォーではないかというが、危険を承知で市内各所に出没し、マクロミクロな情報を入手し論評する。残留するのは「神の召命」と自惚れるが、実は「好奇心がうずうずして」立ち合わずにいられないのだ。新聞のない時代に先駆けたフリージャーナリストの嚆矢である。
この年のロンドンの人口は約46万人、ペストによる死亡者は約7万5千人だったというのが今日の定説である。6人に1人が死んだ計算になるが、均しく亡くなった訳ではない。富裕階級は別荘や親戚宅にいち早く逃げ、そんな手段を持たない貧困層に病魔は襲いかかった。
大流行の兆しは前年の末に始まった。市内で最初の被災者は1664年12月20日頃死んだ商人で、オランダから輸入した絹の梱を開けたことまで判っている。その人物と接触した人々を通して伝染した。厳寒期の潜伏を経て発生が話題になり出したのは翌年2月、疫病はロンドン市東部から西部に進み、9月初め最悪となったが、それを過ぎると下火となった。羅列される町名と教区統計が事実を補強する。当時ペスト菌は発見されておらず、感染の原因は判らない。人々は悪気、毒気といった「気」による空気感染だろうと恐れた。従って病人やその家族と接触することや、犬猫など有毛愛玩動物や小動物を駆除することに力が注がれた。その中には鼠も含まれており、あながち勘違いでもなかった
被病したことが判明した人物の家屋は標識が付されて家族毎封鎖され、昼夜交代で2名の監視人が配属されて食料などの購入も代行した。死体は直ちに死体運搬人によって運び出され、最初は葬式が行われたが、最盛期にはそれらは省略され、夜間に6フィート下まで掘った共同墓地(巨大な穴)に投げ込まれた(語り手はわざわざその光景を見に行っている)。監視人や運搬人に死者が出ればすぐに補充され、大流行で職を失った貧困者がこれに当たった。市長を始め幹部職員、医者たちも命を省みず職務に尽くし、最悪期でも「実に立派な統制が取れ、見事な秩序が市内いたるところに保たれていた」、と公職者の倫理を絶賛する。
居住者たちはそういうわけにも行かない。伝染の激烈化とそれに対する市民たちの心理状態も観察されているが、その過程は次の様に要約出来る。
初期には、それほどの危険を感じない。従って外出や訪問を控えることはない。周囲に死人が目立ち始めると、占いや迷薬に縋るようになる。はしっこい連中はこれでぼろもうけする。併しこれらが無力だということはすぐ判明する。神の救いが喫緊となる。市当局も信仰を推奨する。市民をパニックにさせないための策とも読める。国教会の神父が避難してしまった教会には布教を禁じられていた非国教派の牧師が入り、説教した。
危険がさらに増すと、逆に貧乏人は無鉄砲になった。監視人や看護人の応募は引きも切らさなかった。死ぬまでは働かざるを得ないのだ。死の恐怖が麻痺して来た。近郊農家も作物が売れなければ日干しになるので、街外れに市場を設けた。「病毒は空気中に漂っているのだから、人との往来に用心しても何の役に立たない」として、街をうろついたり、封鎖家族から逃げ出したり、看護人が病人を殺し財産を奪うなどの事件も相次いだ。この時期に農村に逃れた市民は「疫病をばらまきに来た」と讒言され、家財道具を持って引き返してこざるを得なかった、と逸話はつきないが、どこでも「女の方がはるかに大胆不適というか、鉄面皮」だった。その一方で篤志家による寄付金膨大な額に上った。これがなければ市当局の救済策は続かなかった、と指摘することも忘れていない。
9月を過ぎると収束が突然やってきた。作者は何故かこの原因探しを試みていない。死に尽くしたとか、悪気に対する抵抗力がついたとか、神の摂理を持ち出したりする。終息を信じて、当局の戒めも聞かず無防備に戻って来た市民による流行の再発が記されているが、たいしたことではなかったらしい。疫病がやんだ後では、市民は苦しい時期の連帯を早忘れて、いがみ合いを始めた、と苦々しげに記して居るのが意味深い。
感染源や治療法も解らない時代に、人々が疫病とどう闘ったのかという経緯を通して、今もなお私たちは、疫病に限らないが、人間の宿命とそれを乗り越えて行こうとする努力を目の当たりにしている。生存への戦いは、人間が人間である限り、限りなく続くのであろう。
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