学術
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未来に開かれた表現の自由論
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書籍・作品名 : 「表現の自由」の明日へ
著者・制作者名 : 志田陽子
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寄川条路
57才
男性
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未来に開かれた表現の自由論
公共的対話の作法ともいうべき討論のリテラシーを育てる
寄川条路
志田陽子 著
▼「表現の自由」の明日へ
一人ひとりのために、共存社会のために
10・15刊四六判232頁 本体1700円
大月書店
「表現の自由」とは広い海であり、その中にはいくつもの島がある。その一つ一つが他者の権利であり、この島をまとめて「公共の福祉」という。とすれば、公共の福祉とは全体の利益、全員の幸福となるだろうか。他者の権利という島にぶつからないかぎり、表現は自由である。これが著者の基本的なスタンスである。
公共の福祉だからといって、表現の自由を規制することはできない。表現の自由が無制限ではないとしても、公共の福祉とのバランスを考えて規制が必要なのではなく、踏み込んだ議論が必要なのだ。
表現活動が他者の権利を侵害する場合、表現に制約をかけることもあるだろう。しかし、表現の内容を事前に検閲することは許されないとすれば、表現の良し悪しは、いったん社会に出したあとで、被害を受けた者が訴え出るのが原則となる。そうはいっても、差別表現は規制すべきではないだろうか。民族や国籍など、ある属性をもった人たちへの憎悪表現は、社会的な弱者を追い詰めているのだから。ヘイトスピーチを規制すべきなのかどうか。このあたりの対応については、本書ではかなり慎重だ。
ネットの中ではだれもが自分の考えを表現できるから、場合によっては新たな衝突を引き起こし、紛争が増えていくかもしれない。本書は、現代社会の抱えるこうした問題状況を整理して、未来に開かれた表現の自由論を説く。二十一世紀のグローバル社会では、異なる思想や信仰をもった人々が、正しさや優位さを競って争うことをせず、互いに違いを個性として認め合いながら共存できる社会を構想する。しかしこうした寛容論は、本書の中でもまだ、達成されてはいない課題にとどまっているように見える。
表現の中身が問題となるのではなく、表現の場が確保されていればよい。どの表現に価値があり、どの表現に価値がないのかは問われない。個々の表現は玉石混淆であってもよいとすれば、著者が指摘するように、表現のあり方は「自由市場」となる。内面にある思想や感情は、憲法十九条の「思想・良心の自由」で保障されるまでもなく、そもそも法で強制したり規制したりできるものではない。
表現の自由に支えられた民主主義の社会は、ハンドルを右に切ったり左に切ったりするように、「間違う自由」をも許容しながら、自由な批判や修正を認め、より良い考え方に少しずつ近づいていく。著者は、こうした考えに立って、表現内容の正しさや誤り、良し悪しの判断を思想の「自由市場」に任せる。
本書の目標は、多様な文化の中での共存であり、善悪や優劣ではなく多様な文化のあり方の違いを見て、平等に尊重することである。そうであれば、文化の多様性とは、人種・民族・性別・外見・宗教など、さまざまな違いをもった人たちが、一つの文化への同化を強制されずに、多様なあり方のままで尊重され共存できる社会のことを意味している。
コミュニケーション手段の発達と人の流動化が進んだ今日の世界では、地理的な棲み分けによって衝突のない世界をつくることはできない。自分と相容れない他者を社会から排除することは、もはやできないのである。「シャルリー・エブド襲撃事件」をきっかけに、言論の自由と宗教への侮辱とのバランスを考えることになった。私たちがオープンな対話に耐えられる力を身に付け、それを認め合う文化をつくることこそが大切なのだから、著者が指摘するように、現代においては議論が起こることそれ自体を歓迎してもよいのだろう。
本書は、そうした公共的対話の作法ともいうべき討論のリテラシーを育てる、未来に開かれた「表現の自由」への最適な入門書である。
(明治学院大学教授・思想文化論)
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